平成16年2月29日
3市1町合併・住民意向調査結果に対する考察
多治見市議会議員 中道育夫
目 次
まえがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
T.住民意向調査の結果
U.結果に対する首長の評価
V.結果に対する問題提起
1.合併の大義名分 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4
(1)時代の変化 (合併の経緯、社会の変化)
(2)変化への適合 (制度疲労と財政破綻)
(3)国の方針 (枠組み、行政システムの変換、財政の再建、地方自治体への呼掛け)
(4)地方自治体の方針 (ピンチをチャンスに、行財政システム変換、社会資本整備)
2.基本的な問題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
(1)合併協議会側の問題 (設置方法、運営方法、成果内容)
(2)成果伝達方法の問題 (合併協議会と各自治体、議員、メディア)
(3)住民側と行政側の体質的な問題 (住民側の聞く姿勢、行政側への信頼感欠如)
(4)合併是非の判断基準の問題 (行政側、住民側)
(5)住民意向調査の問題 (民主主義の未熟)
3.技術的な問題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12
(1)各市町固有の問題 (多治見市、瑞浪市、土岐市、笠原町)
(2)首長のリーダーシップの問題
(3)議員の合併推進活動の問題
(4)民間の合併推進活動の問題
(5)事務方の問題
W.今後の方針 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
1.住民民主主義の熟成
2.自立した住民本位の行政を実現
(1)多治見市単独の道
(2)再度3市1町合併の道
(3)笠原町との併入合併の道
あとがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19
(参考資料) 3市1町合併のすすめとQ&A ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20
まえがき
平成16年1月25日に実施された住民意向調査において、住民は大差で3市1町の合併を否決しました。その結果を受け、東濃西部合併協議会は1月28日の第23回を最後として協議を打ち切りました。
私は今日まで合併を進めてきた立場から、この結果を重く受け止めると共に、推進活動に対して厚いご支援やご協力を賜りました多くの皆様に対し、深くお詫びし心からお礼を申し上げます。さらにここで、大差がついた今回の住民意向調査結果について、私なりの考察を行いたいと思います。
T. 住民意向調査の結果
3市1町合併の住民意向調査結果 (1月25日実施)
得票率(%)
多治見市
瑞浪市
土岐市
笠原町
平 均
投票率
52.17
60.73
59.29
62.11
56.35
合併の是非
賛 成
34.73
26.17
30.31
67.34
33.57
反 対
56.91
65.90
60.59
21.99
57.80
どちらともいえない
7.48
6.55
7.63
9.91
7.48
無 効
0.88
1.38
1.46
0.76
1.15
新市の名称
土岐川市
13.49
陶 都
20.34
桔 梗
5.09
東 濃
23.08
織 部
16.50
無 効
21.50
U. 結果に対する各首長の評価
第23回合併協議会において、3市1町の各首長は住民意向調査結果に対する評価をおよそ次のように述べました。
高嶋・瑞浪市長 「みなさん、すみませんでした。特に笠原町には申し訳ない。まさかという思いです。住民は身近なものの尺度で判断したのではないか。合併は身近なメリット・ディメリットの問題ではなく、将来を見据えて判断していただきたかった。住民投票は合併の是非にそぐわなかったと思う。当面は単独で全力を挙げてやって行く。合併の方向は間違っておらず、時間をかけて理解していただけるよう努力したい。」
塚本・土岐市長 「みんなのまちだから、みんなで決めたい」の結果は合併否決だった。結果は厳粛に受け止めたい。今後、時間をかけて行政のあり方や政治のあり方を考えて行きたい。将来のことは、議会や市民と相談しながら考えたい。
水野・笠原町長 「笠原町は目標以上の結果を出せたと思う。全体として、総論対各論、大義名分対地域エゴ、理論対感情などの対立のなかで、各論や地域エゴや感情が前面に出て合併の大義名分や総論を訴えることが少なく、自己主張が強く、お互いに助け合って譲り合う精神が足りなかったように思う。合併は間違っておらず、今後新しいパートナーを探すときにはひとつの方向性を持って臨みたい。」
西寺・多治見市長 「合併協議会の会長として、多治見市長として責任を痛感している。結果は多治見に愛着があり、今まで築いてきたものを大切したいという表明で、結局地域のアイデンティティを理屈が越えられなかったと思っている。広域行政や行財政改革はこれからもやって行く。」
この後、多治見市議会・議長の春田委員から、合併協議会として住民意向調査結果の総括を行なうべきだとの提案がありました。これに対し西寺会長から、4首長が合併に調印しないと言明しているため今後合併協議を続けて行く意味がなく、後は各議会に委ねるしかないとの反論がありました。結局、総括は合併協議会では行わず各市町で行うことになりました。
V. 結果に対する問題提起
私は4人の首長の評価を聞きながら、これほどの大差での否決に対する反省と、合併を推進してきた首長としての責任感が希薄ではないかという感想を持つと共に、4人の首長の評価だけでは大差の原因分析があまりにも足りないのではないかと思いました。
さらに、私も今回の意向調査結果の総括は、合併協議会が行うべきだと考えています。
何故ならば、そもそも住民意向調査は合併協議会が合併協議で合意し作成した「合併協定項目」と「新市まちづくり計画」に対する是非を問うたものであって、決して各市町の方針を住民に問うたものではないからです。したがって、これらのものを作成した合併協議会は結果を分析し、何故否決されたのかの原因と教訓を住民に説明しなければなりません。でないと、合併協議会は約1.4億円の経費と約1.5年の職員人件費を使用した理由の説明責任を果たさないことになります。さらに大変残念なことでありますが、この住民意向調査の結果に起因して、行政側から住民に対する不信感が広がっています。このため、少なくとも大差の原因を明らかにしなければ、今後各市町は政策決定の方法として再び住民投票を使用することができなくなるのではないでしょうか。
しかし、合併協議会は総括を行わないことを決定しました。そこで、私は私なりの「大差否決の原因分析」を試みようと思います。水野町長が指摘されているように、合併協議会でいわゆる「平成の大合併」の大義名分が議論されたことはありません。そのため、何故国が合併を勧めるのかが住民に十分理解されていたとは言えません。特に合併特例債などは大変大きく誤解されたのではないか、と私は受け止めています。したがって、私は次の点について分析を試みようと考えました。
1.「平成の大合併」の大義名分とは何だったのか:合併を進める動機の確認
2.何故誰もが驚くほどの大差で合併が否決されたのか:基本的な問題の検証
3.合併推進活動の方法に問題はなかったのか:技術的な問題の分析
以下、それぞれについて考察したところを述べます。
1. 合併の大義名分
(1) 時代の変化
約100年前に行われた明治の大合併は、それまで自然村であったものが小学校区を1つの単位として、500戸を目安に行なわれました。その後、約50年前に実施された昭和の大合併では、中学校区を1つの単位として合併が行われました。その根拠は、生徒が自転車で通学できる距離であることを条件とし、中学校専門課程教師の配属が可能となる約8,000人の人口を1つの単位としています。
さて、今回の「平成の大合併」ですが、昭和の大合併から約50年が経過しています。この50年間に、日本は戦後の復興期に始まった右肩上がりの経済の隆盛により、西欧にキャッチアップを果たしました。その結果、経済状態、交通状態、通信技術、生活水準などは著しく向上し、生活様式などの変遷に伴い、国民の生活も大きく変化しました。しかし、今後の経済が安定成長しか望めない中で行政は、時代の変化に即して国際化、規制緩和、情報公開、地方分権、行財政改革などの対応を迫られると共に、少子高齢化社会への適合が求められています。
(2) 変化への適合
国が「平成の大合併」を進める最大の理由は、今がそのような時代の大きな変換期にあるからです。50年前に作られた国と地方の制度は、制度疲労を起こし現代の多種多様な国民ニーズに適応できなくなりました。また、50年前に作られた自治体の枠組みや規模では、交通通信技術の発達や国民の生活水準・様式の変化に適合しなくなりました。
一方、バブル経済が崩壊した後も、国民の要望に従って行政サービスを提供し続けたために、国と地方の財政は既に破綻状態となっています。
このような時代の変化によって、現在の国と地方自治体のシステムでは、今まで通りの行政サービス水準を維持提供し続けることができなくなりました。そこで国や地方自治体は、今後の経済の安定成長や少子高齢化の社会に備えると共に、国民の多種多様な行政サービスの需要にも応えられるような大胆な政策転換を図るに至りました。
(3) 国の方針
国が考える基本的な構想は、行財政改革を国家的事業と位置づけ、地方自治体に対し地方分権一括法で権限を与え、三位一体の改革で税源を移譲し、市町村合併で自立できる規模の自治体になることを促す、つまり「平成の大合併」を進めるというものです。
国が進める「平成の大合併」の目的は2つある、と私は推察しています。1つは、制度疲労を起こした現在の行政システムを、多種多様な行政ニーズに対応できる自立した自治体のシステムに変換すること。もう1つは、地方自治体に対しての財政的負担を軽減し、破綻状態にある国家財政を再建することです。
@ 行政システムの変換
1つ目の行政システムを変換する方法としては、ヨーロッパ地方自治憲章に習い「補完及び近接の原理」を導入し、行政サービスの受益と負担の関係を明確にして、自治体の自立を促そうとしています。
「補完及び近接の原理」に基づくシステムの内容は、昨年11月、地方制度調査会が政府に答申したように、住民から発せられるニーズは住民の最も近いところ(地域自治組織)で供給し、そこで供給できない行政サービスは地方自治体(基礎的自治体)で供給するというものです。さらに、地方自治体で供給できないものは県を統合した道州制で、そこでも供給できないもののみを国が分掌するというシステムです。これまでの行政にはなかったこれらの画期的な地方分権のシステムは、行政のやり方をトップダウンから、ボトムアップに180度転換することを意味しています。そしてこの改革のため、国は地方自治体に対し地方分権と税源移譲を行おうと考えています。
A 財政の再建
2つ目の目的は、国の財政的負担を軽減することです。合併のスケールメリットにより小規模自治体が財政的に自立できれば、国は補助金や地方交付税を削減することができます。
そこで、政府は現在約3,200もある自治体の数を、合併で約1,000にしたいと公言しています。昨年の6月時点では法定、任意を問わず、何らかの形で合併協議会に参加している自治体の数は約1,900でした。これらの自治体がすべて合併特例債を使うと仮定した場合の合併特例債の合計金額、つまり合併にかかるコストは約12兆円と試算されています。
一方、国と地方は合わせて約693兆円(平成15年3月現在で国民1人当たり約580万円)の借金を抱えており、その年間の利息は約9兆円です。合併特例債の12兆円は10年間の金額でありますので、合併によるコストを年間に換算いたしますと約1.2兆円です。これは国と地方が現在抱えている借金の利息と比較すると約8分の1です。
国が合併を自治体に勧める背景には、これらの合併にかかるコストを先行投資してでも、地方自治体が自立し、将来国と地方の負担を軽減したいという目論見がある、と私は推察しています。
B 地方自治体への呼掛け
以上の政策を実行するため、国は次のようなメッセージを地方自治体に送っていると、私は受け止めています。
「地方自治体は、自己決定・自己責任の原則に則って自ら望むまちをつくり、中央から自立して下さい。自立するためには、合併を行って一定規模以上の自治体になる必要があるでしょうし、地方分権による権限移譲や三位一体による税源移譲も必要でしょう。また自立するために合併する際には臨時的な経費も必要でしょうから、10年間に限り合併特例債の起債と地方交付税削減の免除を用意しました。そして、国のこの提案を受け入れるか否かは、当事者である住民が決めて下さい。国は強要いたしません。ただし、自立できなくなった自治体は近隣の自治体又は県の管理下に入っていただくことになり、その場合には住民の自治がなくなることをご承知下さい。」
(4) 地方自治体の方針
「平成の大合併」に対する受け止め方は様々ですが、私の理解は以上のようなものです。
また私は、今後景気が低迷し続ける中で確実に少子高齢化が進み、多様な価値観を持つ情報化社会になることは必至であり、そのような経験したことのない先行き不透明な地方の将来に、国が自治体を元気付けるチャンスを与えたのだと、国の「平成の大合併」構想を前向きに受け止めて取り組んで来ました。
では多治見市の将来はどうなるのでしょうか。何よりも心配なことは、他の類似団体都市よりも生活基盤、産業基盤、都市基盤などの整備が遅れていることです。そこで私は、少子高齢化と共に市の財政力が疲弊しきってしまう前に、まずこれらの社会資本を整備する必要があると考えています。
このため、国が提案した合併特例債を活用して多治見の社会資本をできるだけ整備し、来るべき少子高齢化時代の厳しい財政状況に備えて足腰の強い自治体を構築したい。そうして、地方交付税に依存しない財政的に自立した自治体経営を確立したい。さらに合併という形態を前進させて住民間の真の融和を実現する10年の間に、住民本位のボトムアップの行政を実現したい。それらの事こそが私自身が合併を進める最大の動機であります。
2.基本的な問題
以上のような大義名分を持つ「平成の大合併」ですが、3市の住民は誰もが驚く大差で否決しました。恐らく住民意向調査で反対票を投じた住民自身も、この結果に驚いているのではないでしょうか。この結果によって、3市1町は社会資本整備のための約900億円の財政的支援と、行政をトップダウンからボトムアップに転換する絶好のチャンスを逸しました。
今回の結果を、行政側の危機感不足、説明不足や方法のまずさという原因だけで片付けてしまうのには余りにも失ったものが大きすぎるし、行政の基本的な問題を潜在化させることにもなります。そこで、同じ失敗を繰り返さないため、さらに住民投票が再度実施できるようにするためには、何故住民が大差で否決したのかを分析する必要があります。
住民意向調査を実施する前に、3市1町の4人の首長は全員「合併が必要である」ことを明言しました。合併協議会委員(以下、単に委員という)のほとんどの方も合併に賛成です。また、3市1町80名の議員のうち60名75%の議員も合併に賛成しました。これらの首長、委員、議員はすべて住民の代表です。しかも、首長と議員は公職選挙法に則って選出された住民の代表であり、各市町10名の委員のうち5名は行政と直接利害関係のない各種団体等の住民代表です。けれど、3市の住民はこれらの代表者の合意事項を大差で否決しました。
この事実は、3市住民の中で合併することが必要であり、合併が住民にとってどのような意味を持つのかを一番良く知っている代表者らが、住民を合併賛成に導くことができなかった事を意味しています。私が今回の住民意向調査結果を深刻に受け止める理由は、住民に負託された代表者の意見と住民の意見(以下、民意という)が全く異なってしまったという点です。
そこで、私は住民意向調査結果が今の行政を否定したと受け止め、住民は何故このような大差で否決したのかを分析するために、(1)合併協議会側の問題、(2)合併協議会の成果伝達方法の問題、(3)住民側と行政側の体質的な問題、(4)合併是非の判断基準の問題、(5)住民意向調査の問題、に区分して考察を行いたいと思います。
(1) 合併協議会側の問題
@ 設置の方法
東濃西部合併協議会は任意の合併協議会を設置せず、平成14年7月に法定の合併協議会を設置しました。合併に反対の住民は、この方法が「合併ありきだ」という批判を繰り返し行ないましたが、それは誤解です。直接、法定の合併協議会を設置した理由は次の通りです。
一般に法定協議会で協議したにもかかわらず合併が実現しなかった場合は、市民から責任を問われます。それは協議会費用や職員人件費などの税金を使用したにもかかわらず目的を達成できなかったからです。この失敗責任を回避するため、法定の協議会を設置する前に当該自治体同士の有力者、例えば首長、議会、経済界などの有力者が合併の実現を担保するために任意協議会を設置するというケースが多いようです。この合併協議会は、合併の実現を担保した後に法定合併協議会を設置し、詳細な合併協定項目と新市建設計画を策定するという手続きを踏むのが一般的です。これがいわゆる「合併ありき」の任意協議会の実態ですが、あくまでも「任意」ですので秘密裏に協議や交渉を行うことができ、たとえ合併が実現しなくても誰からも責任を問われることはありません。このような事態を避けるため、東濃西部合併協議会は法定の協議会を設置し、協議費用と職員人件費を使用する法的な根拠を確立しました。ですから、設置の方法は民主的かつ合理的な方法であったと考えています。
A 運営の方法
設置された合併協議会は、協議過程、協議結果、協議費用をすべてガラス張りにすると共に、合併協定項目の合意と新市建設計画策定の過程では、極めて民主主義的な手続きと方法を採用してきました。例えば、3市1町合併後の重点政策や新市名称などは住民アンケートで聴取していますし、合併協議会の会議はすべて傍聴が可能で、議事録もすべてインターネットなどを通じて公開されました。また発言の自由という点についても、42名の委員には平等な発言が保障され、委員の意見も公平に取り扱われており、また会議を傍聴している住民や議事録をインターネットで読んでいる住民にも発言する機会が与えられており、合併協議会はそれらの発言に対しても丁寧に回答しています。ですから、このような合併協議会の運営方法に対し、委員のみならず住民からも大きな不満はありませんでした。
このように、東濃西部合併協議会は大変民主主義的な運営が行われており、決して民意を無視して合併協議を進めたわけではありません。したがって、合併協議会という機構と運営方法に問題があったとは考えられません。
B 成果の内容
合併協議会は、合併協議を行い3市1町の合併協定項目と新市まちづくり計画を策定し合意しました。各市町の制度を調整統合する合併協定項目では議員の身分、地方税均等割、財産区、保育料金、上下水道料金、研究学園都市の位置づけなどが、合意に至るまでの過程で、議員数の削減、公共料金の相違、制度の相違、財産や借金の額の相違、将来の不安などの様々な主張が展開されつつ3市1町の利害が衝突し、激しい議論や調整統合の難しい局面もありました。しかし、最終的にはそれぞれの市町がいずれもお互いが歩み寄るなかで基本的合意に到達しました。
もう1つの新市まちづくり計画は、合併して22万人の都市ができると「どのようなまち」になるのかを示すものですが、合併協議会でこの計画を作る際に、「理想的な未来都市を造るのか」それとも「それぞれの市町の住民が要望している総合計画(10年の長期計画)の実現を目指すのか」のどちらかの方向を選択すべきだ、という提案がありました。
その時、合併協議会のほとんどの委員は、総合計画の実現を要望しました。つまり、合併協議会は住民が受け入れ易く分かり易いシンボル的な「夢」を追うのではなく、3市1町の住民生活に直接影響を及ぼす切実な要求の実現を目指すことで合意したのです。委員には3市1町の首長、助役、議員、住民代表がそれぞれ10名ずついますが、この方針に異論を唱えた委員はいませんでした。
このように合併協議会で合意した内容を見ると、合併協定項目を策定する過程において地域エゴなどの綱引きはありましたが、最終的に完成した合併協定項目と新市まちづくり計画は概ね合意され、委員から大きな異論は出ていません。
これらの2つが1.5年の歳月と1.4億円をかけた合併協議会の成果品です。住民意向調査はこの成果の是非を問いましたが、結果は大差での否決でした。しかし私にはこの成果が否決されたとは思えません。何故ならば、合併協議会のほとんどの委員はこの成果に賛成しており、私自身もほとんどの会議を傍聴しましたが、合意過程などを考慮すると、成果に反対する理由が見当たらないからであります。
ただ、合併に反対する住民から「保育料金や上下水道料金の統一が先送りされたのは合併協議が不調になったからだ」という主張が宣伝されましたが、この主張は誤解です。例えば、保育料金は国の幼保一元化の方針が定まらない状態で軽々にシステムを決定できないという理由があり、上下水道料金は3市1町の全体整備計画を短期間で立案できないからであり、いずれも3〜5年以内に料金を統一することが決定されています。
もし合併協議会の成果が否決されたとするのならば、それは成果に対する住民の誤解に基づくものです。では、合併協議会は誤解されるような説明を住民に行ったのでしょうか。
(2) 成果伝達方法の問題
@ 合併協議会と各自治体の伝達方法
誤解されない伝達方法の課題は、合併協議会の成果を住民の大多数の方々に、どのような方法で、正確かつ確実に伝え、理解していただくのか、であったと考えます。
合併協議会と自治体は「合併協議会だより」や各市町の広報を通じて、何度も合併協議会の協議過程と合意事項を逐次報告しました。しかし残念ですが、住民は文字ばかりの広報などを読まないであろうということで、大方の見方は一致していました。そこで、合併協議会と各自治体は中学校区単位や小学校区単位で住民説明会を開催すると共に、「お届けセミナー」と称して小規模集会も開催して説明を行いました。
しかし、合併協議会と多治見市が主催した住民説明会に参加した多治見市民は延べ1,453人で、同様に両者が主催した「お届けセミナー」に参加した多治見市民は述べ約650人でした。すなわち、何らかの形で合併協議会の成果を直接聞いた市民は約2,000人であり、それは10.6万人の多治見市人口の約2%と、余りにも少ないものでした。つまり、市民の大多数の方々は、自らの生活に直接影響を受ける合併の情報にもかかわらず、積極的に聞こうという姿勢にはなかったということです。
次に、行政側の説明方法について述べます。説明会での事務局の説明内容は、財政面から合併した場合としない場合のシュミレーションや3市1町の行政システムの調整結果、及び新市まちづくり計画などが主でした。説明は短時間で協議会成果を説明するために行政用語が多く、しかも合併の賛否を誘導しない説明を心掛けたためか、合併の是非を判断するポイントが不鮮明になって、何を主張したいのかが判らないような内容になりました。
とにもかくにも合併協議会と各市町の執行部は、住民に周知するための既存の方法で、協議会の成果を住民に周知しようと懸命に努力しました。しかし、私は多治見市内でのほとんどの説明会を傍聴しましたが、前述したようにまず住民の参加率が低いこと、そして行政用語が難解で、合併是非の判断基準も明確でないこと、時間が短いために質問者の疑問も解消されず、住民に誤解を生みやすいものであったことは否めません。さらに不幸なことに、ある特定の市民が質問という形を借り、感情的な合併反対の主張をし、しかも的外れな国への批判を繰り返されるに至っては、他の市民が冷静で客観的な判断が難しくなるような場面も多々ありました。今後、行政と住民が正確な情報交換を行う場においては、これらの反省を踏まえて何らかの対策や改善が必要になるのではないかと考えています。
A 議員の伝達方法
次に、合併協議会の成果を住民に伝達する方法として、正確な情報を知っている議員が住民に知らせる方法があります。しかし協議会の成果に対する認識に差があることや、中央の政治団体等から合併反対を義務付けられている議員がいると、建設的な議論を進めることが難しく、合併協議会の成果も住民になかなか正確に伝わらないというもどかしさがあります。さらに何といっても住民の側に聞こうという姿勢がないと、いくら言葉を費やそうが議員の意図や真意は伝わらないということもあります。
また議員から直接市民に訴える方法として、私たちは昨年の12月20日から1月の24日まで合併推進の街頭宣伝活動などを行いました。活動は主に講演会の開催、街頭での演説、宣伝車からの連呼、チラシの配布などでした。私は商工会議所などの皆様に対して約1時間の講演を計8回行いました。その結果、参加者からは「何故、合併が必要なのかが良くわかった」との感想は良くいただきましたが、しかし何度やっても住民の中から合併が必要だという声は広がりを見せませんでした。また、住民は街頭演説、街頭宣伝車連呼、チラシ配布にもほとんど反応を示しませんでした。むしろ私たちが必死になればなるほど、「うるさくて迷惑だ」という住民からの苦情も受けました。けれど、投票日前日の24日になって初めて、事の重大さに気付かれたのか、街頭宣伝車にチラシが欲しいという市民が現れ始めました。
B メディアの伝達方法
合併協議会の成果を住民に伝える重要な手段として新聞等のマスメディアがありますが、その影響力は大変大きなものです。恐らく、市民の大半は行政情報の多くを新聞から得ているのではないでしょうか。テレビやラジオという媒体で知らせるという手段もありますが、協議会の成果を正確に伝えるには一過性ということもあり適しているとは言えません。しかも行政情報は、コストを押さえ品位を保つ必要があるため、わかりやすく、かつおもしろおかしく何度も宣伝することができません。また、仮にできたとしても、やれば税金の無駄遣いだという指摘を受けることは必定です。
今回の3市1町合併の新聞報道について、私は新聞社から提供される記事のほとんどに目を通し切抜きを行っていますが、この間の記事の論調は、住民の感情を喚起するものが大半でした。各新聞社は営利団体ですので住民の関心を引く記事を書くのは当然ですが、合併の大義名分や合併是非の論点整理など、合併の背景にある本質的な議論を喚起する記事は残念ながらほとんど見られませんでした。そのため、私は住民意向調査を実施する前の1月22日に3人の新聞記者に改善を申し入れました。
これらの新聞報道は間違っているとは言えないのですが、報道する視点が行政側と異なっているため、行政が意図する情報は市民に正確に伝わらないという弱点を抱えています。つまり新聞を読んでいるだけでは、住民は行政の意図を正確に理解することができないという問題を孕んでいます。
(3) 住民側と行政側の体質的な問題
以上述べたように、合併協議会の成果を住民に正しく伝えるために、行政側、議員側、メディア側がどの方法を使おうとも限界があります。しかし、仮に住民の側に聞く姿勢があれば、行政の正確な情報や意図が伝わり、合併協議会の成果を伝達する行政コストも最小で済むことは明らかです。ところが行政側は今まで住民に対し、行政の意図や情報を聞いていただく努力や工夫をどれだけ重ねてきたでしょうか。私は行政側が情報の正確さを追求するばかりで、住民に聞いて理解していただきたいという情熱に欠けていたように思えます。
今回の住民意識調査結果が示したものは、国の方針を受けて実行し、その成果を住民に伝え、あとは住民が判断することだ、という従来のお役所的仕事の感覚や意識では、到底住民の理解や合意を得るまでには至らないことを証明した、と見ることができます。
また私は、住民側の聞く姿勢を醸成するのは他でもない行政への信頼だと思います。行政への信頼がなければ誰も行政の言うことに耳を貸さないでしょう。さらに、行政への信頼がなければ、行政が実行しようとしている地方分権時代に不可欠な住民との協働もできません。
行政が意図することを住民に理解し協働していただくためには、単に標語を唱えるだけではなく、1人1人の住民に正対し、真に住民に信頼される行政を実行しなければなりません。また、そうしなければ今後の少子高齢化社会での行政はやって行けない、そのことを今回の住民意向調査結果から私は学びました。
さらに、住民が行政を信頼せず、行政側も住民意向調査結果を見て住民に不信感を持つことになったとすれば、このような状態は多治見市が目指す民主主義行政にとって危機である、と受け止めています。
(4) 合併是非の判断基準の問題
@ 行政側の判断基準
国は、「お互いの自治体の相性が良く、合併したいのなら合併しても良い」という動機で合併を提案したのではありません。繰り返しになりますが、「平成の大合併」の動機は、現状の自治体システムでは今の行政サービス水準を今後も維持提供し続けることができないため、小規模な自治体が合併することによって、将来に適応できる自立した自治体を創って欲しいと、国が提案したものです。
この方針を受けて合併協議会は、新しい時代に適応できる3市1町の合併協定項目と新市まちづくり計画を作成し合意しました。そして各市町は、合併した場合としなかった場合に、行政サービスがどうなるのかを、それぞれ住民に説明しました。例えば多治見市は、合併しなかった場合の10年間に財源がどんどん不足し、現状の行政サービス水準が維持できず、どんなに努力しても行政サービスを30%削減するか、それとも公共料金を30%値上げせざるを得ないと、各小学校区単位で行われた住民説明会や広報で、何度も説明しています。
すなわち行政側は、合併した場合の行政サービスの水準と、合併しなかった場合の水準を住民に説明することで、これを合併するか否かの判断にして欲しいと提案したのです。しかし住民の多くはこれを判断基準にせず、別の基準で合併するか否かの投票をしたのではないか、と推察することができます。つまり、行政側が意図したことと住民側の受け止め方が異なっていた、もしくは行政が意図したことを住民が理解できなかった、それとも聞いていないか読んでいなくて、住民は全く別の基準で合併の是非を判断したのではないか、と私は推察しています。
A 住民側の判断基準
例えば、昨年の12月23日に多治見市で行われた「合併シンポジューム」において出された意見には、およそ次のようなものがありました。「多治見の名前が消えるのはけしからん」、「面積が広くなると民主主義が後退する」、「多治見と土岐は相性が良くない」、「土岐市や瑞浪市は高齢化率が高く、財政力が小さいのに何故合併するのか」、「合併特例債は借金であり、これ以上借金を重ねて良いのか」、「国は信用できない」などです。
これらの意見は、何よりも他からの共感を得られやすい感情論で語られており、ともすると物事の本質を曖昧にしてしまうという特徴を持ち、しかも10年先や20年先の将来を見据えていない意見であることに大変危惧を抱きました。
また、これらの意見は合併協議会が1年半をかけて合意した成果に対する反論ではありません。どちらかというと3市1町の合併よりも、国の「平成の大合併」を批判していますが、いずれも国の方針や自治体行政の現状に対する正しい知識、及び合併の大義名分に対する認識が不足しています。さらに、合併特例債や自治体経営に対する誤解も多く(巻末の参考資料「3市1町合併のすすめとQ&A」を参照)、本来合併協議会が提案した合併是非の判断基準とかけ離れたものであります。
以上のような事柄から、住民意向調査の結果は合併協議会の成果である合併協定項目と新市まちづくり計画そのものが否決されたのではなく、合併協議会が示したものを住民が判断基準にしなかったことが大差否決の大きな要因である、と私は結論付けました。
西寺・多治見市長は最後の合併協議会で、「結果は多治見に愛着があり今まで築いたものを大切したいという表明で、結局アイデンティティを理屈が越えられなかったということである」と述べられました。合併協議会の会長でもある西寺市長でさえ、「平成の大合併」の大義名分を単なる「理屈」として認識しておられたこと、そして他でもない財政の危機を克服すべき立場の最高責任者であるにもかかわらず、合併の必要性を多治見というアイデンティティ(自己存在証明)と、同じ次元で比較考量しておられたことに、私は大変驚きました。これでは10.6万人市民の行政に責任を持つ首長として、余りにも不見識であり無責任な言動であると思います。そして、ここにも今回の大差の否決に至った要因がある、と私は考えています。
(5) 住民意向調査の問題
元来、私は住民自治を実現する立場から住民投票に賛成であり、この度の「投票方式による住民意向調査」も、住民投票として機能させるべく全力を挙げて取り組みました。しかし今回の結果を見る限り、3市1町の民主主義は北欧諸国が国民投票を行なうような状態にまで成熟していなかったのではないか、と痛感しています。住民民主主義は行政と住民が1対1で正対し、お互いの間に信頼関係が成立し、行政が発信する情報と意図が住民に正確に伝わっている、そのような状態で成立するものですが、そうではなかったということができます。
このような段階で、北欧諸国の形だけを真似た住民投票を実施すれば、誰もが予測しなかった結果となることは、ある意味で当然だったのかも知れません。つまり、3市1町の民主主義はまだ成熟過程の途上にあって、北欧諸国が行っているような住民投票の実施は時期尚早であった、と思わざるを得ません。
言い換えれば、今の行政は、住民が合併に是非の判断に必要な情報を正確に聞き取り、いくつかの選択肢に中から自らの意思で正しい選択ができる、そのような状態での「民意」を醸成することができていなかった。そのことを、今回の住民意向調査結果は証明したのではないか、と考えています。今後住民代表は、住民全体を対象にした福祉の向上を目指しながらも、個人にも焦点を合わせ、住民1人1人に正対した行政を行う必要があると思います。
多くの教訓を残した今回の住民意向調査の結果ですが、行政側と住民側がお互いに不信感を増幅させないため、行政側は今後住民全体から信頼されるような行政を実行継続すると共に、行政側の意図が正確に住民側に伝わるような工夫を行い、民主主義がより成熟した社会を構築する責任がある、と私は考えています。
3.技術的な問題
次に、合併を推進する上で問題となった事柄を、(1)各市町特有の問題、(2)首長のリーダーシップの問題、(3)議員の合併推進活動の問題、(4)民間の合併推進活動の問題、(5)事務方の問題に区分して考察します。
(1) 各市町特有の問題
事前の下馬評は、瑞浪市、土岐市、笠原町は不安なく賛成票が多いはずで、多治見市で賛否が拮抗し、もし合併が破綻するとすれば多治見市が起因となるだろう、というものでした。しかし、笠原町を除く3市の住民はいずれもダブルスコアに近い圧倒的多数で合併に反対しました。
笠原町の賛成票が67%もあったのは、約50年前の「昭和の大合併」で多治見市と合併後に地域的な事情を優先させたことなどを原因として分町した苦い教訓があること、自治体財政に対する危機感がどこよりも強いことから、他市に比べて人口が1.2万人と少ないにもかかわらず、町主催の合併説明会を11回も開催したからではないか、と推察しています。
瑞浪市の賛成票は26%で、反対票は66%もありました。瑞浪市の住民は、高嶋市長が就任以来積極財政の行政を実施されて来たためか、現在の行政に不安感を持っていません。しかし、3市1町の合併後には新市の東端となり、しかも人口規模から多治見市主導の行政が行われるのではないかという不安が潜在的にあったようです。にもかかわらず行政は、その潜在的な不安感を解消せず、自らが信頼されていることを前提として合併を進めたところに、瑞浪市の落とし穴があったのではないかと推察しています。
土岐市の賛成票は30%で、反対票は61%もありました。土岐市の住民は、陶磁器産業の「土岐が造り多治見が販売する」という役割分担によって醸成された伝統的な多治見市への不信感を、最後まで払拭することができなかったようです。また、土岐市の旧8ヶ町村の地域的な均衡を前提とした行政の体質から見ると、多治見市の地元住民と新興住宅住民との融和を目指している行政の体質は、異質であるような印象を住民に与えたようです。
多治見市の賛成票は35%で、反対票は57%でありました。多治見市の賛成票が予想に反して他の2市よりも多かったのは、危機感を持って合併推進活動を懸命に行ったからではないかと推察しています。しかしながら反対票が57%もあったという原因は、他の2市と基本的に同じであったと考えられます。そして、合併特例債や都市計画に対する誤解を除けば、多治見市の住民が反対した理由は、「多治見の名が消える」、「多治見市の先進的な行政が後退する」、「国は信用できない」などが多くありました。
つまり、行政側が現在のサービス水準を維持できないことを理由に3市1町の合併を提案し、新市全体の行政のあり方や行政サービス水準の行方を判断基準にして欲しかったにもかかわらず、住民が多治見のアイデンティティを第一の判断基準としたことが、大差否決の最大原因であります。その意味では、まさしく西寺市長が述べられたように「地域のアイデンティティを理屈が越えられなかった」ことに尽きるのですが、当事者の最高責任者が「越える」ために最大限の努力をされたとは思えず、まるで解説者のような第三者的見解を発言されるのは、やはり無責任の謗りを免れないと思います。
(2) 首長のリーダシップの問題
合併協議会には、3市1町の公平性を保ちつつ合併是非への中立性を保つために、次のような暗黙の了解があったように思います。@新市の姿を住民に知らせて住民の判断を仰ぐために、合併の賛否を促すような情報提供を行わない、A各市町の利害が異なる合併協定項目の調整は、お互いが納得するまで時間をかける、B合併協議は手続きを公明正大とし、完全な情報公開を旨とし、住民のどのような意見にも耳を傾ける、などです。
つまり合併協議会は完全な公平かつ中立の民主主義的運営を心掛けたのです。その結果、それぞれの異なる立場の主張は保障されたのですが、住民に与える印象として「合併が必要である」という重要なメッセージが伝わらず、利害調整の難しさの印象だけが残ってしまった。
そのことを住民に決定的に印象付けたのは、「住民意向調査の結果」の取り扱いが3市1町の首長間でそれぞれ異なっていたことでした。3市1町の首長会議でどのような話し合いが行われたのかは分かりませんが、結果だけを見ると、各首長はお互いのアイデンティティーを主張し合い、共通の結論を得ることができなかったようです。つまり、これから合併しようとする首長同士が、お互いに歩み寄って協調するという姿勢に欠けていて、「住民意向調査」の結果に対する取り扱いも個別に主張されたのです。
一方、合併協定項目は3市1町の1,900の事務事業を整理して49項目になりました。合併協議会は前述したように紆余曲折がありながらも、委員42人のお互いの歩み寄りにより、49項目の全てにおいて合意しました。にもかかわらず、首長の専決事項である「住民意向調査結果の取り扱い」だけが、3市1町の首長間で合意されず、そのことが新聞等のメディアで大々的に報道され、住民の胸に深く刻み込まれました。このようにして合併協議会は、新しく自立した自治体を創るための協同作業の場であったにもかかわらず、住民の目には「利害の綱引」や「アイデンティティーの違い」だけが印象付けられました。
さらに、誰よりも早くから合併の必要性を認識しておられたはずの各市町の首長が、「平成の大合併」の大義名分や、今の行政の窮状を克服するため3市1町の合併がどうしても必要であることを強力に主張するなどをして、合併協議のリーダーシップを取られませんでした。また、住民の偏った情報や誤った情報、特に合併特例債に対する誤解などを正す努力や、行政の意図を正確かつ確実に伝えることなどに精力的に取り組まれませんでした。
このような各首長のリーダシップの欠如が、住民の心を最後まで動かせなかった主な原因ではないか、と私は考えています。
(3) 議員の合併推進活動の問題
3市1町の議員による合併推進活動は、住民を巻き込むほどの運動を展開するには至りませんでした。さすがに合併反対の議員は行政の現状を把握しているためか、合併反対のための組織的かつ積極的な運動を展開しませんでしたが、合併に賛成の議員は、各市町に合併推進議員団を結成し推進活動を展開しました。そして1月12日の成人式には、3市1町の合併推進議員団を統合して合併推進連盟を結成し、3市1町の議員総数80名のうち60名を結集させるに至りました。
しかし、多治見市の議員団が住民意向調査に向けて本格的に動き出すことができたのは、12月議会で2度目の「市民投票条例」を否決した翌日の12月20日からです。
その理由は、市長が「市民投票条例」制定可否の決着が付かないうちは、「住民意向調査」の取り扱いについて自らの態度を明らかにできないと表明されたため、議論の争点が合併の是非よりも「市民投票条例」制定の是非にすり替えられてしまったからです。さらに、既に1月25日に実施することが決定している「住民意向調査」の取り扱いが決まらなければ、合併推進活動の焦点が定まらないからであります。
ここで、何故同じ内容の「市民投票条例」を2度も否決しなければならなかったのか、何故合併是非の争点が「市民投票条例」制定是非の争点にすり替わったのか、について述べます。市長が初めて9月議会で「市民投票条例」を提案したのは、住民投票が市長の選挙時の公約でもあったからです。事前の8月に合併協議会で「投票方式の住民意向調査」の実施が決定し、「市民投票条例」と「住民意向調査」が競合したとしても、市長が提案したことは政治的に止むを得ないことであっただろうと思います。しかし、9月議会で「市民投票条例」が否決され、しかも私が反対討論で「どちらとも言えない」の選択肢が含まれている「住民意向調査」の取り扱いの重要性を指摘したにもかかわらず、市長は何も対処されませんでした。また、条例が否決された翌日の9月25日、共栄地区の小名田公民館で開催された住民説明会において、市長は「選挙公約の市民投票条例が市議会で否決された責任はいずれ明らかにするので、少し待って欲しい」と住民に答弁されました。しかしその後も市長は、自らの答弁にもかかわらず条例否決の責任を明確にせず、住民意向調査結果の取扱いも明らかにされないまま、時間だけが無為に経過してしまいました。
そのような状況のなかで、11月に市長が提案したものと同じ内容の「市民投票条例」が再度市民から直接請求されました。この直接請求は住民の署名を添付して法律の条件を満たしていましたので、条例の内容にかかわらず市議会で審議する責務が生じました。
これに対し市長は、市議会に「条例を制定すべき」と意見を付して提出すると共に、条例制定の可否が市議会で決着しないうちは、「住民意向調査結果の取り扱い」について自らの態度を明確にできないと表明されました。そのため12月19日に議会で否決されるまでの間、「市民投票条例」の制定是非が議論の争点になってしまい、「住民意向調査結果」の取り扱い方や合併是非は争点として置き去りにされてしまいました。
住民の間で合併の是非の議論を深めることが大変重要だったにもかかわらず、この9月25日から12月20日の約3ヶ月間は、まったく無駄な時間を過ごしました。何故ならば、議会は言論の府であるため、既に9月議会で審議して否決した条例を改変することもなく、次の12月議会で可決するなどということは、まずあり得ないことだからであります。
条例を直接請求された住民の方々は、議会側のこのような考え方や仕組みをご存知ないかもしれませんが、市議会議員を20年も勤められた西寺市長なら良くご承知のはずです。
にもかかわらず合併是非の議論をすべき重要な時期に、市政の空白期間を作られた市長の優柔不断な行為は、行政の最高責任者として無責任であると言うほかありません。
こうして市長は、2度目の「市民投票条例」が12月19日に否決された後、初めて「合併の調印をするか否かの判断は、住民意向調査結果の賛成・反対の多い方に従う」と表明されました。私たちはその時点から本格的な啓蒙活動を始めたため、住民意向調査が実施される1月25日までの活動期間は約1ヶ月しかなく、その間に行政が休止する正月を挟んだため、住民に知らせて議論していただく期間があまりにも短すぎました。また、私が1月の活動終盤に市民から得た感触から悔やまれるのは、3ヶ月の政治的空白期間の早い時期に「住民意向調査」の取り扱い方が決定し、合併の是非が争点となっていれば、より多くの市民と「合併是非の争点」で議論ができたのではないか、ということです。
他市の議員団が具体的にどのような活動をされたのかは分かりません。しかしながら、土岐市と瑞浪市の反対票の多さは誰の目にも予想外でした。当初、多治見に比較して合併した方が有利である行政的条件、首長や議員の住民に対する積極的姿勢、首長の住民意向調査結果の取り扱い方など、いずれも他市では合併賛成派が有利であることは明らかでした。けれども、そのことが却って油断を生み、前述したような住民感情に対する深い洞察力の欠如を生んだのかも知れません。合併の必要性を住民に理解していただくには、課題が多く内容が難しすぎます。それらの事柄に対する認識を欠いたまま、議員の活動は上滑りしてしまったのではないかと推察しています。
(4) 民間の合併推進活動の問題
他の地域での合併の実例を見ますと、合併推進の原動力は商工会議所や青年会議所などの経済界の活動が主です。3市1町でも、この20年間合併に取り組んできたのは商工会議所会員を中心とする「陶都経済懇話会」でした。しかし、今回の合併を推進することの難しさは、商工会議所や青年会議所などが、主体的かつ能動的に活動できなかったことに示されています。その理由の1つとして、自らの言葉で「合併が何故必要なのか」を、住民に納得の行くように説明することが非常に難しかったからではないかと推察しています。また、何よりも国や自治体が財政的・行政的にピンチであるという現状に対する深い認識がなければなりませんが、その認識も希薄であったような印象を受けました。同じような状況は、土岐・瑞浪にもあったのではないかと推察しています。
(5) 事務方の問題点
一般に、市長を除く市の職員は事務方と呼ばれています。事務方は市長の方針や議会の審議結果を忠実に履行する義務があり、政治的な判断をしてはなりません。
今回の3市1町の合併には、合併協議会専任職員と各市町職員の2種類の事務方がありました。合併協議会では協議成果を住民に問うて合併の是非を決めるという約束事がありましたので、合併是非の判断を誘導する情報を流布することができません。このため合併協議会の委員と事務方は、最後まで合併の是非について中立を保ちました。
しかし、各市町はそれぞれの動機に基づいて、各首長が表明されたように「合併が必要である」ことを主張することができます。ところが、何故か各市町の事務方までもが、合併協議会に習い中立を装いました。住民意向調査の実施直前になって、多治見市の企画部長は「多治見市が合併推進の立場である」ことを表明しましたが、合併に反対する住民から抗議があったこともあって、終始合併の推進活動に対し腰が引けていたように思います。
多治見市の首長が「合併は必要である」と表明し、24名中15名という過半数の市議会議員が合併推進議員団に参加している現状がありながら、事務方は積極的に合併推進の活動をされなかった、この事実はどのように解釈すれば良いのでしょうか。事務方は首長や議員などの政治家とは異なる独自の政治的判断をされたのでしょうか。
W. 今後の方針
1. 住民民主主義の熟成
民意は最初から住民の中にあるものではないと私は思います。誰かが情報を発信し、住民の中で醸成し、それが民意となるのではないでしょうか。しかし行政が情報を提供しようとしても、前述した様々な制約条件から住民の側に聞く姿勢がないと、なかなか正確な情報や意図は伝わりません。住民が先か行政が先かの議論は鶏と卵の議論に似ていますが、その間を媒介するのが「行政に対する住民の信頼」です。行政に対する信頼が住民の側になければ、住民は行政の言うことに耳を傾けないでしょう。今回の住民意向調査によって従来型の行政が否定された現在、行政のあり方が根本的に問われている、と私は考えています。
そこで、マスメディアが果たす役割が大変重要ですが、前述したようにメディアが発する情報は、まず住民の興味を引くものでなければならないとする商業的発想から、行政の信頼をなくすようなネガティブのものや感情に訴えるものが、全体的に多すぎるように思います。行政側の情報伝達方法を改善すると共に、メディア側にも改善していただきたいものです。
2. 自立した住民本位の行政を実現
私は自立した住民本位の行政を実現するための究極の行財政改革が「合併」であると位置づけ活動を行なって来ました。しかし、平成13年の秋に住民の直接請求によって発せられた人口33万の中核市となる4市3町の合併は、平成14年1月、可児市の拒否で破綻しました。次に、人口22万の特例市となる今回の3市1町の合併は、この度の住民意向調査の結果で破綻しました。合併特例債の期限である平成17年3月末まで、残り日数は1年と1ヶ月となりました。今後、合併協定項目の合意と新市まちづくり計画の策定が必要な新設合併、つまり対等合併は残された期間から見てまず不可能と言わざるを得ません。
このため、多治見市に残された選択肢は、(1)単独で行く、(2)再度3市1町合併に挑戦する、(3)笠原町との併入合併を進める、の3つしかありません。以下、それぞれについて考察を行ないます。
(1) 多治見市単独の道
単独の場合、多治見市は合併特例債を利用することができず、地方交付税が徐々に削減される中で遅れた社会資本を整備し、財政的にさらに厳しくなる少子高齢化社会に立ち向かわなければなりません。多治見市は住民説明会の中で、合併しない場合には行政サービスの水準を低下させるか、それとも受益者負担の原則に則って、公共料金を値上げせざるを得ないことを住民に予告していました。今回、過半数の市民が合併しないことを選択されたからには、市民はそのような現実が確実に来ると受け止め、その日に備えなければなりません。また、行政は全力を挙げて行財政改革に取り組みつつ、懸案の社会資本の整備にも力を注がなければならないという苦難の道を歩まざるを得ません。
(2) 再度3市1町合併の道
今回の住民意向調査の結果は、行政の意図したことが住民に伝わらなかったこと、大方の住民が合併協議会の提案したものを合併是非の判断基準にしなかったことが、合併の破綻につながったという経緯から、行政のあり方の基本的な問題点を浮き彫りにしました。まず、合併協議会が自らそのことを総括しなければならず、笠原町を除く3市の首長は合併破綻の責任を取り、辞任されることが筋だと思います。その後、再度「住民意向調査結果を糧とした3市1町合併の公約」を掲げて市長選挙に立候補し、当選されれば、3市1町合併の実現は十分可能性のあることだと考えますし、また再度3市1町の合併を実現するためには、この方法しかありません。
この合併が実現しますと、約900億円の国と県の財政的支援を基として、3市1町の社会資本を整備しつつ住民本位のボトムアップの行政を構築することが可能となります。
(3) 笠原町との併入合併の道
多治見市と笠原町では既に当事者同士の合併に関する基本的な資料は揃っています。併入合併は多治見市の制度に笠原町が合わせることになりますので、この6月議会で法定合併協議会を設置することができれば、合併特例債の期限である平成17年の3月議会までに、合併の議決を得ることは可能です。ただし、笠原町が合併のパートナーとして多治見市と土岐市のどちらを選択するのか、また笠原町は多治見市への併入合併を許容するのか、という問題が残されています。加えて、笠原町は今年の4月に町議会選挙を控えており、選挙前に合併推進活動を積極的に行ない難いという状況があることも考慮しなければなりません。
ここで、国と県の財政的な支援を試算しますと、笠原町との併入合併による財政的支援は、国の合併特例債が176億円、県の合併推進事業費が92億円、その他の臨時経費、特別交付税、合併推進補助金、岐阜県合併支援交付金を合わせた21億円など、合計約289億円となります。さらに、普通交付税の算定特例として年間約9億円が10年間保障され、特例はその後5年間をかけて徐々に削減されます。
国の交付税と補助金が大幅に削減され、市税収入も大幅に減少して赤字地方債を発行せざるを得ないところまで追い詰められた多治見市の財政にとって、実現性の高い残された選択肢である笠原町との合併による国と県の財政的支援は、喉から手が出るほど欲しいところです。また、笠原町の財政状況にとっても、多治見市以上に厳しい状況ではないかと推察しています。
私は笠原町との併入合併が、多治見市にとっても笠原町にとっても新しい時代に適合する行政システム構築のための、いよいよラストチャンスであると考えています。住民の皆さまの賢明な選択と判断が望まれています。
あとがき
「平成の大合併」は、単に3市1町が合併するという意味に止りません。西欧にキャッチアップすることを目的とした国主導型の行政システム、そして「昭和の大合併」から50年経過して制度疲労を起こし時代の要請に適合しなくなった行政システム、これらを新たに国際化、規制緩和、情報化、少子高齢化の時代に適合するよう「補完及び近接の原理」に基づいた地方分権の行政システムへと、一大転換を図る事業であります。
以上のような大義名分への認識を欠いた3市1町の合併協議は、やはり地域エゴやアイデンティティーの差異によって破綻する運命にあったのかも知れません。しかし、「平成の大合併」への認識不足と未熟な住民民主主義への認識不足、それらを解明することなく合併協議を継続して住民意向調査を実施し合併を破綻に導いた責任は、やはり各自治体の首長が担うべきものだと考えています。
各首長は公費を使って目的が達成できなかった責任を取ると共に、合併破綻の原因や教訓を住民に対して説明責任を果たす義務を負っています。そうしなければ、合併協議に掛けた1.4億円の経費と1.5年間の事務局人件費、及び合併協議会委員の情熱と労力を無駄にした、という歴史的評価を受けることになるでしょう。
以上
(参考資料)
3市1町合併のすすめとQ&A
1. 合併のすすめ
@ 合併は、自立可能な自治体の大きさで住民本位の行政を進め、必要とされる行政サービスを最小のコストで実現するための作業です。
A 昭和の大合併から約50年が経過し、西欧にキャッチアップし交通機関や情報通信技術の発達に伴う生活の水準と様式の変化、住民ニーズの多様化に対応できる自治体が、いま必要とされています。
B 国は経済の安定成長と少子・高齢化の社会に備えて、自治体が自立できるよう地方分権による権限移譲と三位一体の改革による税源移譲を行い、さらに合併を容易にするために合併特例債を用意しました。
C 自治体は制度上無借金経営ができないため、合併するしないにかかわらず学校、上下水道、道路などの建設には、種々の地方債を起債(借金)しなければなりません。そのとき合併特例債は極めて有利な地方債(借金)です。
D 3市1町の生活基盤、産業基盤、都市基盤の整備は共通して遅れています。少子・高齢化社会の到来で、行政が疲弊する前に必要な整備をしなければなりません。特に、住民の雇用や経済の活性化のため地場産業の戦略立案と、道路交通網の整備は急務です。
E 現状のまま景気が低迷し少子・高齢社会に移行した場合、多治見市は10年後に行政サービスを約30%削減するか、公共料金を値上げせざるを得ないことは必至です。
F 3市1町合併の実現によって、現在の行政サービス水準を維持し、住民が念願とする各市町の長期計画をも実現できる展望が開けます。
G 合併は、時代に適合する新しい行政システムを構築するために、自治体同士が統合するものです。新市をスタートさせ、良き文化と伝統を継承しつつ、新たな郷土愛や住民の連帯感を育みましょう。
H 新市住民の協働で、活力があり安心できる快適なまちを、自然と共生するまちを、そして住民参加と情報公開で自立したまちを創りましょう。
I 合併はピンチをチャンスに変える切り札です。
2.合併のQ&A(質問と回答)
Q 合併の賛成と反対を判断する基準は何か
A 合併で住民への行政サービス水準が上がるのか、それとも下がるのか、です。
Q 多治見の名前が消えても良いのか
A 多治見市は土岐市郡多治見町と可児郡豊岡町が合併してできたまちであり、市之倉、滝呂、高田・小名田、南姫は多治見市に吸収合併されたまちです。当時は反対もありましたが、住民へのサービスは確実に向上し、現在、住民から名前のことで不満はありません。
Q 市民と市役所の距離が遠くなるのではないか
A@ IT技術の進歩で支所機能を充実させることで、住民はより近くで様々な行政サービスを受けることができます。
AA 合併後の新市において、小学校区単位に「地域自治組織」を創れば、むしろ今までよりもキメの細かい行政を行うことができます。
AB 小さな自治体は人件費で行政コストが高くなり、大規模な自治体は多様な市民の要望を実現するためにやはり行政コストが高くなります。統計的に行政コストを最も少なくする自治体の規模は、人口が20〜30万人であることが判っています。
Q 無駄な公共事業をして良いのか
A 合併で実施する公共事業は、3市1町の長期計画に載っている事業で、住民が要望した事業ばかりであり、無駄なものは一つもありません。
Q 合併特例債は借金である。これ以上借金を重ねて良いのか
A@ 自治体経営の仕組みは単年度決済なので、学校を造るときには国などから借金をしなければなりません。これは合併するしないにかかわらず同じですが、合併で受けられる合併特例債は、国が70%を負担してくれる最も有利な借金です。
AA 合併特例債による借金は160億円です。この借金は合併で地方交付税が削減されない10年間に財政調整基金として積み立て返済します。借金の返済計画は平成41年まで既に立案済みです。
Q 国の合併特例債や10年間の地方交付税削減免除は信用できない
A 国は地方分権や税源移譲を行い、合併で自立しようとする自治体に特典を与えて、国の負担を少なくしようと考えています。それは経済の安定成長と少子高齢化社会では、従来のような潤沢な財源を背景に行ってきた国の援助ができなくなったからです。合併特例債や交付税削減免除はそのための先行投資です。合併の背景に、国のこのような考えがある限り、特典は保障されます。
Q 合併協定項目で先送りされたものがあり、合併協議は調整不足ではないか
A 上下水道や保育園などの公共料金は、合併後でないと決められません。理由は3市1町それぞれのシステムや料金体系が異なり、新市の全体計画を作成し建設費や維持費が算定できないからです。これらの公共料金は合併後「速やかに(約3年以内)」に統一することが決まっています。
Q 他の市町との間に不信感があるのではないか
A 3市1町の間で行政の考え方に若干の違いがあることは否定できません。しかし地方税均等割、財産区、保育園など、利害が異なる大変難しい問題も粘り強い協議で3市1町が合意しました。行政レベルでの合併協議では合意が成立しました。
Q 多治見の進んだ行政が遅れるのではないか
A 歴史が後戻りできないように、一旦実施された行政を後退させることは困難です。ただし、真に合併後の行政が先進的なものになるのか、後退したものになるのかは、市民が選出する新市の市長と議員によって左右されます。単に合併という行為が決めるわけではありません。
Q 核のまちと一緒になって大丈夫か
A@ 瑞浪市の核燃料リサイクル開発機構(以下、単に核燃という)の超深地層研究所は、次の理由により高レベル放射性廃棄物の処分場になることはありません。
平成12年に最終処分法が制定され、従来の所謂「動燃」は核燃と原子力発電環境開発機構(以下、単に原環機構という)の2つに区分されました。そのなかで核燃は放射性廃棄物の地下処分技術を、原環機構は処分場位置選定を担当することになりました。平成14年から原環機構は処分場の候補地を全国で公募しています。なお、瑞浪市は国及び県から処分場にしないとの確約書を取っており、市議会でも処分場にしない決議を行っています。
AA 土岐市の核融合科学研究所は、仮に施設誘致に不明朗な点があったとしても、当該自治体と県及び国が合意し約1,500億円を投じた現施設と職員をゼロにすることはできません。現施設の存在を認めて上で、国の公害調停案に沿って、実験期間を限定し安全を確認する最善の方法を情報公開しつつ模索し、当事者同士で環境協定書を作る方向で検討されています。
平成16年1月20日
多治見市議会議員 中道育夫