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議員と報酬に関する考察

 自治日報4月23日号「自治」の欄で、「議員と報酬」と題する恒松制治氏の論評には一部誤解があると感じたので私見を述べます。論評は、第一に国会議員と地方議員の実態を混同しています。私は保守系無所属の市議会議員を9年間勤めていますが、同僚の自民党議員を含め、論評が指摘するような政党助成金の「恩恵」にあずかったことは一度もありません。

 第二に、地方議員(以下、単に議員という)の役割は非常に変化したという認識が欠けています。西欧にキャッチアップするまでのように、国の方針が既に決まっており、事務方と呼ばれる職員が清貧で能力的にも十分信頼できる時代がありました。議員は専門知識も必要なく、「住民の目線で政府(執行部)を批判する」ことで、その役目を果たすことができました。

しかし昨今では、国際化、規制緩和、少子高齢化、地方分権化、財政困窮化のなかで、地方自治体は自己決定・自己責任の自立が求められています。当然、議員は旧来のように執行部の描いたシナリオにケチを付ける程度では、その役目を果たせなくなって来ました。いま議員に求められているのは、自らの情報収集と分析に基づいて、執行部のシナリオを修正、または対案を提示できるような力量ではないか、と考えています。

 第三に、議員の役割と報酬が整合していないという現状認識がありません。議員が常識の範疇で執行部提出議案の是非を判断すれば良いのであれば、「議員という職はそれによって生活を支える類のものではない」ことは確かです。また、専門知識も予備知識も必要ないのであれば、議案審議に拘束された時間に見合う報酬を支払うことで、ことは足ります。しかし執行部の政策に疑問を持つ場合、住民から行政の審議を付託されている議員は、自ら対案を立案する必要にも迫られます。このような執行部と議員の関係、及び議員に求められる力量は、自治体の規模に関係なく全国どこでも同じのはずです。しかしながら、現在の議員報酬は自治体の規模、つまり議員一人当たりが受け持つ住民の数の多さに比例して定められています。その結果、県や政令指定都市などの議員は生活給以上の報酬を得ていますが、小規模な市町村議員はとても生活を賄えない報酬しか得られないという実態があります。

 第四に、論評は住民が何を期待して議員を選挙しているのかと、いま求められている議員像への洞察がありません。かっての名誉職議員はドブ板と呼ばれる利益誘導政治を優先し、「住民の目線」で議案審議をしていれば役目を果たしたと見なされました。しかし情報公開により露骨な利益誘導ができなくなった現在、議員の役割は専門的な知識によって巧妙な利益誘導を見破りながら執行部が提案する政策の是非を判断し、かつ対案を提示することである、と考えます。そのため、議員には法律や国の政策を含む広範な見識も必要ですが、これらの力量は「住民の目線」からは決して生まれません。私は、むしろこれからの議員には職業としての専門性が益々必要になると考えています。では、いったい住民は議員に対して名誉職と専門職のいずれを期待して選挙しているのでしょうか。

 第五に、私は議員と報酬の関係を次のように考えています。住民が議員の役割として名誉職を望むのならば生活給は必要なく、各種利益誘導団体を網羅するように報酬の少ない議員を数多く選出すべきです。反対に、議員に審議機関として専門職の役割を望むのであれば、魅力ある職業として報酬を高くし議員数を少なくすべきです。

 いま問題となっているのは、議員報酬と役割の整合性が取れておらず議員が魅力ある職業として認知されていないため、優秀な人材が議員として参入できないことです。反面、生活給が保障されている大規模な地方自治体の議員は知名度がないと当選できないため、やはり優秀な人材が議員として参入できないことです。このような実態に対する認識なくして、議員の報酬や議員数を議論することは、あまり建設的ではありません。

多治見市議会議員 中道育夫


 

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