このページを印刷する 戻る
 

 

「多治見市民と市議会議員を結ぶ会」の皆様へ

多治見市議会議員の中道です。

前回皆様に、年末に開催された「合併シンポジューム」の感想をお願いしましたが、残念ながらその後応答がありません。投票方式の住民意向調査が行われる1月25日まで、残すところ4日となりましたが、3市1町合併是非の議論がまだまだ低調です。合併するかしないかは多治見市の10年、30年、50年後という長期の行政のあり方を決定付け、市民の皆様の生活に直接影響を及ぼしますので、大変重要です。

私はご存知のように、合併を推進する立場でこの3年余の間活動を続けて来ました。今日は取り敢えず「シンポジューム」での論点を整理しながら、私なりの「合併の必要性」についてお話したいと思います。

まず、私が「シンポジューム」で懸念したことは、合併論議がデーターに基づき論理的に議論されるのではなく、かなり情緒的に語られていたことです。コーディネーターの小出氏が提案していたように「合併是非の判断基準は何か」ということが、最後まで整理されずに議論されていたことを大変危惧しています。

私は国が提案する合併を次のように受け止めています。「合併は、新時代に適合する新しい行政システムを構築するために自治体を統合するもので、自立可能な自治体の大きさを創って住民本位の行政を進め、必要とされる行政サービスを最小のコストで実現するための事業です。」 (詳細は添付資料の「3市1町合併のすすめ」と「瑞浪市・合併問題研究会の資料に対する見解」を参照して下さい)

ですから、市民にとっての「合併是非の判断基準」となるものは、3市1町が合併することにより、行政サービスの水準が良くなるのか悪くなるのか、を判断基準にすべきだと私は考えています。以下、「シンポジューム」で議論された内容を整理しつつ私の見解を述べます。

@ 自治体の適正規模は何を基準として、どれくらいが望ましいのか。

「シンポジューム」の主な議論は次のようなものでした。人の縄張り根性から一番居心地の良い範囲が合併の範囲とすべきである。合併で面積が広くなると、故郷に対する愛着が薄れ、かつ人の顔が見えにくくなり観客民主主義に逆戻りする。だから、合併に反対である。

自治体として小さい規模ほど市民の緊密度が高くなることを認めたとしても、コストの面から極論を申しますと1町内会の100世帯で市役所や役場を持つことはできません。仮に持つことができたとしても、住民に多様な行政サービスを提供することはできません。反対に、約1,000万人の人口を持つ東京のような大都市では、ご指摘のように観客民主主義となります。また、行政面では価値観の多様化により、オペラハウスのような特殊かつ高価な需要が発生したりして行政コストが高くなることが統計的に判っています。

そこで、いま申し上げたような極論を除外して、日本の標準的な行政サービスを提供している自治体において、最もコストが低くなる自治体の規模はどのくらいかと言うと、人口が約20〜30万の都市であることが学術的に判っています( 吉村弘 「最適都市規模と市町村合併」 東洋経済新報社 参照)。

約100年前の明治の大合併は、それまでの自然村が小学校区を1つの単位に500戸を目安として合併されました。約50年前の昭和の大合併では、中学校区を1つの単位として合併が行われました。その根拠は生徒が自転車で通学が可能であることを条件に、中学校専門課程の教師を配属することが可能な8,000の人口を1つの単位としています。

これらの大合併により、土岐郡多治見町と可児郡豊岡町が合併して多治見市となり、市之倉や高田・小名田、滝呂、姫路村などが吸収合併されて、現在の多治見市となりました。

昭和の大合併から約50年が経過しました。この間に、経済状態、交通状態、通信技術、生活水準と様式は著しく変化しました。そして、今後は安定成長下の少子高齢化社会を迎えようとしています。この度の平成の大合併は、このような社会的条件の大きな変化の中で、約50年前に作られた自治体の枠組みが時代に適合しなくなったため、国家的事業として提案されたものです。

3市1町の合併は人口が22万人です。私はこの自治体の大きさが行政のコスト面で最も適した規模であると考えています。そして、合併後の新市で小学校区や中学校区単位に、地方制度調査会が提案した「地域自治組織」を創れば、むしろ今までよりもキメの細かい行政を行うことができます。さらに、IT技術の進歩で支所の機能を充実させれば、市民は近くで様々なサービスが受けることが可能になると考えています。

A 多治見の名が消えても良いのか。

多治見という名は文化財であり、これを合併特例債の600億円で捨てて良いのか、多治見という名がなくなるのが忍びがたい、などの議論がありました。

しかし前述したように、現在の多治見市が生まれた背景には、過去の豊岡、市之倉、高田・小名田、滝呂という町名が多治見市内の町名として変更され、姫路村は村名そのものがなくなってしまうということがありました。それらの合併は全て行政サービスの向上のために行われてきたのですが、その結果、故郷はなくなったでしょうか。故郷に対する愛着はなくなったのでしょうか。結果として、過去の合併は失敗だったのでしょうか。

私はホワイトタウンに住んでおり、名古屋に通勤するサラリーマンでしたから、もし議員にならなければ、恐らく高田・小名田、滝呂、南姫などの地域に全く関係することなく生活を続けていたと思います。しかし、50年前の昭和の大合併で、これらの地域が一緒にやって行くことを決断されたことで現在の多治見市が生まれました。そして、10.6万人の多治見市を維持することができ、その結果、私たちは10万人都市に相応しい行政サービスを享受するこが可能になってきています。また、文化と歴史的な面においても、市之倉を初めとするこれらの地域が同じ多治見市内にあることを誇りに思います。

多治見市という名称が持つイメージは陶磁器の街ですが、市民はその名称で生計を立てている訳ではありません。名称が消えても、歴史と伝統、生産の技術と装置、そして人間国宝を初めとする芸術性やその文化は消えることはありません。良きものを継承しつつ新しい付加価値のある新しいブランドを構築してゆけば良いのではないかと考えています。

B 3市1町の住民は夢を共有しておらず一体感もなく協働の姿勢もない。

パネラーの一人は他の合併失敗の事例を引き合いに出して「合併が破綻した原因は夢を共有できなかった」ことであると指摘しました。では夢とはなんでしょうか。

3市1町合併の夢とは、漠然としたイメージで語ることではありません。合併協議会で合意された「合併協定項目」と「新市建設計画」の実現こそが、「夢」の実現であると私は考えています。特に新市建設計画は、合併して22万人の都市ができると「どのようなまち」になるのかを示したものです。合併協議会で、この新市建設計画を作る際に「理想的な未来都市を造るのか」それとも「それぞれの市町の住民が要望している総合計画(10年の長期計画)の実現を目指すのか」のどちらを選択するのか、という議論がありました。

その時、合併協議会のほとんどの委員は、総合計画の実現を要望しました。つまり、合併協議会は住民に分かりやすいシンボリックな「夢」を追うのではなく、3市1町の住民生活に直接影響を及ぼす切実な要望の実現を目指すことで合意したのです。委員には3市1町の首長、助役、議員、住民代表がそれぞれ10名ずついますが、この方針に異論を唱えた委員はいませんでした。この意味で、まず、少なくとも合併協議会委員の3市1町の方々が現実的な「夢」を共有したのだと私は考えています。

さらに、3市1町の行政的な制度を調整する合併協定項目では、地方税、財産区、保育料などの問題でかなり調整が難しい局面がありましたが、最終的にはそれぞれの市町が合併の大儀のために譲歩し合意に漕ぎ着けました。

一般住民のなかには、それぞれの経験に基づき「3市1町の住民には一体感がなく協働の姿勢もない」と主張される方もおられますが、パネラーはいま申し上げたような合併協議会委員の姿勢に対しても、一体感もなく協働のスタンスもないと主張されるのでしょうか。

合併はお互いの住民が感情を共有することではありません。あくまでも自治体行政の統合ですので、行政水準が質と量において上がるのか下がるのか、に基づいて判断すべきだと私は考えています。

C 高齢化率が高く、財政力がなく、行政水準が低いところと合併するのは嫌だ。

一面、多治見市の高齢化率は他の2市1町よりも低いことは事実です。しかし、現在の多治見市の高齢化率を低くしているのは新興住宅住民です。ですが、この新興住宅住民は同世代の住民が多く、10年後、20年後には一挙に高齢化します。そういたしますと、多治見市は他の市町よりも急速に高齢化し始め、いずれ他の市町と同様な高齢化率になることが予測されています。つまり、現時点では多治見市の高齢化率は他の市町に比べて低いのですが、長期的に見た場合、同様な高齢化率になることは必定です。

次に、自治体の財政力を示す指標には、財政力指数、経常収支比率、公債比率、起債制限比率など数多くありますが、3市1町を比較すると、どれかが良いとどれかが悪いというように飛び抜けて財政状態が良いという自治体はありません。ただし、全体を概観すると、財政力指数の良い多治見市が他の市町よりも若干財政力があることは確かです。

しかし、多治見市の財政力指数は平成12年度で0.75ですが、全国の類似団体都市の平均値は0.81です。つまり、多治見市が3市1町のなかで財政力が相対的に良いとしても、全国の平均値から見れば低く、自らの支出を自らの収入で賄えない構図には変わりがありません。いずれにしても、10年、30年という単位で長期的に見れば、3市1町は基本的に同じ構図だということができます。

D 多治見市の進んだ行政が遅れるのではないか。

歴史が後戻りできないように、一旦実施された行政を後退させることは非常に困難です。けれど、合併後の行政が真に先進的なものになるのか、後退したものになるのかは、新市の市長と市議会・議員の資質や力量によって左右されるのであって、単に合併という行為が決める訳ではありません。そして、それらの政治家は市民が選ぶのです。

E 無駄な公共事業をして良いのか。

前述したように合併で実施する公共事業は、3市1町の長期計画に載っている事業で、住民が生活の中から要望した事業ばかりであり、無駄なものは一つもありません。

F 合併特例債は借金である。これ以上借金して良いのか。

自治体経営の仕組みは単年度決済なので、学校、下水道、道路などの社会資本を造るときには、国などから借金をしなければなりません。この事は合併するしないにかかわらず同じですが、合併することによって受けられる合併特例債は、他の地方債に比べて国が70%を負担してくれる最も有利な借金となっています。

なお、今回の合併協議で決められた合併特例債による借金は約160億円です。合併が実現すると10年間は地方交付税が削減されませんので、この借金は合併後10年間に財政調整基金として積み立て返済にあてます。借金の返済計画は平成41年まで既に出来上がっていて、その資料は公開されています。

G 合併特例債や10年間の地方交付税削減免除は信用できない。

国は、全国で約3,200ある自治体がそれぞれ力をつけて自立してもらわなければ、今後やって行けないことを明確に打ち出しました。そして、政策として地方分権や税源委譲を行い、合併で自立しようとする自治体には特典を与えて、国の負担を少なくすることを考えています。それは経済が安定成長しか望めないことと、今後避けて通ることができない少子高齢化社会では、従来のような潤沢な財源を使って行ってきた国の援助ができなくなったからです。合併特例債や交付税削減免除はそのための先行投資であり、合併の背景に、国のこのような考えがある限り、特典は保障されると私は考えています。

H 合併の協議は調整不足ではないのか。

合併後に料金が統一されることになっている上下水道や保育園などの公共料金は、合併後でないと決められません。その理由は3市1町それぞれのシステム、料金体系、長期整備計画が異なっているからであり、詳細な調査を行い新市の全体計画を作成してから建設費や維持管理費を容易に算定できないからです。これらの公共料金は、合併後「速やかに(約3年以内)」に統一することになっています。

I 他の市町との間に不信感があるのではないか。

3市1町の間で行政の考え方に若干の違いがあることは否定できません。しかし、地方税均等割、財産区、保育園など、利害が異なる大変難しい問題も、約1年半かけた粘り強い協議で3市1町が合意しました。行政レベルでの合併協議では合意が成立しました。

J 核のまちと一緒になって大丈夫か。

☆ 瑞浪市の核燃料リサイクル開発機構(以下、イ核燃という)の超深地層研究所は、次の理由で高レベル放射性廃棄物の処分場になることはありません。

平成12年に最終処分法が制定され、従来の所謂「動燃」は、イ核燃と原子力発電環境開発機構(以下、ロ原環機構という)の2つに区分され、それぞれが担う役割が明確になりました。イ核燃は放射性廃棄物の地下処分技術を、ロ原環機構は処分場位置選定を担当します。平成14年から、ロ原環機構は処分場の候補地を全国で公募し、現在青森県が手を挙げています。また、国及び岐阜県からイ核燃を処分場にしないとの確約書を取っており、市議会でも処分場にしない決議を行っています。

☆ 土岐市の核融合科学研究所は、仮に施設誘致に不明朗な点があったとしても、当該自治体と岐阜県及び国が合意し、約1500億円を投じた現施設と職員をゼロにすることはできません。現施設の存在を認めた上で国の公害調停案に沿いながら、全面的な情報公開をさせることで住民の監視下に置きます。そして、実験期間を限定し、安全を確認する最善の方法を模索し、当事者同士で環境協定書を作ることが検討されています。

論点を整理した私の意見は以上の通りです。

約50年前に作られた国と地方の制度は制度疲労し西欧にキャッチアップした現代の多種多様な市民ニーズに適応できなくなっています。そして経済の安定成長と少子高齢化の社会を迎えて、国と地方の財政は既に破綻しています。このピンチを切り抜ける1つの方策として進められているのが平成の大合併です。

国は地方自治体に対し地方分権で権限を与え、三位一体の改革で税源を移譲し、市町村合併で自立できる規模の自治体になることを促しています。また、ヨーロッパ自治憲章に習い「近接及び補完の原理」を日本にも導入しようとしています。これは住民から発せられるニーズは住民の最も近いところ(地域自治組織)で供給し、そこで供給できない行政サービスは地方自治体(基礎的自治体)で供給するシステムです。そして、地方自治体で供給できないものは道州制で供給し、そこでも供給できないもののみを国が担当するというシステムです。これらのシステムは従来のトップダウンのやり方から、ボトムアップのやり方に180度変化することを意味しています。

こうした社会情勢や国の方針を受けて、私は3市1町の合併に積極的に取り組んできました。多治見市は他の類似団体都市よりも生活基盤、産業基盤、都市基盤の全てにおいて整備がかなり遅れています。私は少子高齢化により多治見市の財政力が疲弊しきってしまう前に、何よりもまずこれらの社会資本を整備する必要があると考えます。国が提案した合併特例法を活用して多治見の社会資本を整備し、合併を実現する10年間で住民本位のボトムアップの行政を実現したい。そのことこそが私が合併を進める動機です。             

以上

 

      1つ前に戻る
Google