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平成17年2月18日

地方分権シンポジュームの報告

多治見市議会議員 中道育夫

 
2月14日、愛知県中小企業センター講堂で、「愛知発 ! 地方分権シンポジューム〜地域の未来と分権国家への道筋〜」と題するシンポジュームが開催されました。このシンポジュームは、愛知県が平成15年6月に学識経験者による「分権時代における県のあり方検討委員会」を設置し、昨年11月に報告書が知事に提出されたことを記念して開催されたものです。
 内容は神田真秋・愛知県知事の挨拶に続いて、諸井虔・第28次地方制度調査会・会長が基調報告を行い、その後パネルディスカッションという形で進行しました。パネルディスカッションは昇秀樹・名城大学教授をコーディネーターとして、後房雄・名古屋大学教授、川勝平太・国際日本文化研究センター教授、永久寿夫・PHP総合研究所第二研究本部長、マリ・クリスティーヌ・異文化コミュニケーターの4名をパネリストとして行なわれました。
 大変有意義なシンポジュームでしたので、結果の概要について報告します。

神田知事の挨拶
 2,000年の地方分権一括法によって、権限が国から地方へ移譲され、国と地方は対等の協力関係になった。地方分権は「補完性の原理」に基づき住民と行政が役割分担して協働することであるが、財源の移譲すなわち「三位一体の改革」が進んでいない。
そこで一昨年、高山市で行なわれた全国知事会では、「闘う知事会」が宣言され、それまで国家政策の「従順な受け皿」であった知事会の性格が一変した。また、現状で地方の権限と財源が整合していないため、「分権時代の県のあり方検討委員会」を設置した。
私は県の合併と道州制のスタンスは違うと考えているが、時間をかけ調整しつつ道州制を実現したいと考えている。

諸井会長の基調報告
 小泉首相から諮問された内容は、道州制の検討、都道府県と大都市(政令指定都市と中核都市)のあり方、税制と財政のあり方の3項目である。小泉首相のメッセージは「民間や地方で出来ることは、民間や地方でやらせろ、それが構造改革である」というものである。
その背景には省庁間の縦割り行政と高級官僚の価値観の弊害がある。高級官僚は50歳を過ぎて局長になれない場合には肩叩きがあって、退職後の就職先を見つけなければならないし、各省庁は退職官僚の就職先を世話しなければならない。一方、憲法にはやってはいけないものが書き込まれていないため、新しい需要が発生すると各省庁間で事業の受け皿(就職先)作りのための利権争いが発生して、物事の決定が出来ず、先送りされて事業実施のタイミングを逸してしまうことになる。このため、小泉首相は「役人にやらせるな、規制緩和して民間にやらせろ、分権して地方にやらせろ」と言っている。
 地方分権の受け皿として、全国を8〜9つの道州に分割し、人材を集めて教育し、国と戦うことを考えている。国とまともに戦うためには、人材を育てた道州が必要である。いま東北3県が合併しようという話がでている。

パネルディスカッション
 ディスカッションは、最初に後教授から「分権時代における県のあり方検討委員会」の概要報告があり、その後、昇コーディネーターが、@これまでの地方分権と財源移譲をどのように評価して道州制の背景をどのように捉えるのか、A今後道州制に何を期待するのか、の2点について問いかけがあり、それぞれのパネラーからコメントがありました。

後教授の「分権時代における県のあり方検討委員会」の概要報告
委員会は2年間議論をした。その結果は愛知県のホームページで報告されているので、ここでは感想を述べる。県からは県がなくなるかも知れないことを考慮せず議論して欲しいとの要望があり、メンバーがほぼ50歳前後であったことから、型どおりの議論ではなく、かなり率直な意見交換ができたと考えている。
結論は報告書の10章の提言で述べている。今後、市町村のあり方が県の枠組みを決定すると考えており、まず市町村が自立する環境を整備することが大切である。次に県の合併で道州が出来ると行政効率は向上するが、行政が住民から遠くなるために都市内分権が不可欠となる。さらに道州の中にいくつかの地域があるような、全体として「顔の見える道州制」が望ましい。

後教授の2つの課題に対するコメント
 道州制には2つの流れがある。1つはかなり古く国が押し付けたもので、戦時中の国土決戦の枠組みのキャッチアップ型のもので、道州の知事は国の任命制であった。もう1つは約10年前に大前研一氏が提唱したもので、経済のグローバル化によって戦略的な経済活動ができる地域国家が必要であるが、今の県単位では狭すぎるため道州制が必要性であるという主張。経済界はこの大前氏の経済圏を単位とした道州制を理解したが、国民はまだ理解していない。
今の道州制は昔のものとは異なり、地方分権の文脈の中で議論されている。そして、知事は任命制ではなく、選挙による大統領制か議院内閣制が想定されている。
私は道州制の議論がこのように急旋回するとは予想できなかった。その契機は地方分権一括法であるが、知事会が「おねだり型」から「戦う型」に変貌したことも、不可逆の流れであり分水嶺を越えたと理解している。キャッチアップ型の近代化は終わった。現在の市町村では自立できる単位ではない。経済的に自立する必要があるが、その枠組みで県が合併する必要がある。
道州制には議論のプロセス自体に期待をしている。憲法の改正も含め、公的な制度は、全て国民の見えるところで改正の議論をやれば良いと思う。日本は国民が作った憲法を持ったことがないが、公的な制度をどのように設計して憲法を策定するのかであろう。
これまでは制度を設計することも憲法を改正することもタブーだった。現憲法は1〜2週間で作成されたために、衆議院と参議院の多数派が異なったらどうするのかなどの制度的対策がなく、また両者は同時に選挙しないなど、基本的に一度には政権交代ができないような制度設計になっている。また、地方自治体は二元代表性であるが、首長と議会の意見が異なったらどうするかの制度的対策がないため、選挙を形骸化することによって、この問題を隠蔽している。
私は二元代表制が日本では機能しないように思う。制度的には議員内閣制が良く、市町村の首長、道州の知事、そして知事の中から内閣総理大臣が生まれるような制度が、最も良い制度であると考えている。

川勝教授のコメント
 今回の報告書は日本全体に通用する内容である。いま地方分権が日本の一番大きな流れであるが、その要諦は市民が自立することである。阪神淡路大震災で略奪や狼藉が発生しなかったことは世界に日本文化の高さを知らしめることになった。そして、この時のボランティア活動等によって、市民は自立することの大切さに気づいた。また、市町村合併の結果で分かったことは、市民が力をつけると多くの首長や議員が不要になり、かっての人材に無駄があったということである。
 道州制を提唱したいもう1つの背景として、国がキャッチアップのために意図的に行なった中央集権制度の役目は終わったということがある。今はアジアの中で地域間競争をしなければならない時代であり、その意味で道州を8〜10にするのは体力的に無理がある。例えば北海道はGDPが20兆円、愛知県は30兆、関東州は80兆円と、道州間で経済的な格差があり、経済の規模が小さい道州はやってゆけない。このため、もう少し大きな枠組みを想定しつつ、国に対し「権限と財源及び人材をよこせ」と言う必要がある。ともかく道州制で国力を上げることが重要だ。
 EUはフランスとドイツが仲良くなるために作ったものである。アジアでは日本の存在が大きく、仲良くするためには東アジア共同体を作る必要がある。そのために道州制を導入して国の顔を変える必要がある。欧米のモデルや東京時代は終わった。首都機能を東濃に移転し、1国並の経済圏で道州を作り、森の州、山の州、水の州などの環境をコンセプトとして日本の顔を作りたい。

永久部長のコメント
 松下幸之助は昭和43年に道州制を提唱していた。その制度の内容は「廃県置州」と呼称するもので、今の県境は明治にできたものだから交通と通信の発達から時代に合わない。そのため権限を道州に移し、国は外交や防衛だけを行なう連邦制を想定している。その発想は当時の松下電器が中央の指令で会社をコントロールできなくなったからで、独立採算制の事業部制の会社の方が良いと考えたからである。
現在は均衡ある国土の発展により、全国どこでも同じような生活が出来るようになって、東京よりも地方の方が住み易くなって来た。今後は東京に頼ることなく自立する時代である。そのために地方分権が必要であるが、三位一体の改革は不十分である。PHPの試算によれば、財源は20兆円が移譲できるはずだ。このまま放っておいては、国が潰れるという意識が国民に必要である。
現憲法には国がやるべきこととやってはいけないことが具体的に書かれていないため、国が何でもやってしまう。国がやるべきことを制限すべきだ。ギリシヤやハンガリーは人口が約1,000万人であり、人口で考えると、日本には12の国が出来る。道州制による自立には苦しさと楽しさがあるが、自分たちで発展させる可能性の方が良いと思う。

マリ・クリスティーヌのコメント
 以前はアメリカ国籍だったが今は日本国籍である。現在愛知万博の広報プロデューサーを務めているので、今年一杯は愛知県に住む予定である。
知多半島の美浜町は市町村合併で生き残ったが、南セントレア市という名称は良くない。日本はやさしい国である。アメリカでは、いくら繁栄した町でも必要がなくなれば、最後はたたんでしまう。アメリカには人口1人の町があり、隣の町まで500マイルあるが、国は助けない。
アメリカは連邦制で、国と州が分かれており、この2つが協働で運営している。敷地内に入って狙撃され死亡した服部君は、その州の法律に基づいて撃たれたのである。他の州では屋敷内に侵入しないと銃を発砲してはならない法律となっている。州ごとに法律が違うのである。また、アメリカには「オートノミー」、つまり自分の権限という考えがあるが、この概念は日本に合うのだろうか。例えば税金の集め方で、フロリダやネバダ州はギャンブルを認め、ロッドシックスという宝くじで集めたお金を教育費に充てることが出来るし、ギャンブルで使ったお金は減税の対象になる。つまり権限をどのようにドライに割り切って使うのかも問題となる。
日本に大金持ちはいないが、終身雇用や国民健康保険によって誰でも安心して食べてゆけるシステムは、海外でも日本の良さや優しさを示す素晴しいシステムと評価されている。
 道州制への期待は、経済圏という単位の発見にあるが、現在の支配者や売る立場からの制度設計を改め、生活者からの視点で住民のアメニティから見直して欲しい。また科学対環境という対立軸ではなく、何を軸に社会の仕組みを構築するのかをも考慮して欲しい。

昇教授のコメント
 道州制の背景にはいくつかあって、経済のグローバル化によって今の47都道府県では狭すぎるだろうという意見、住民自治により行政サービスの大半は市町村で決定されるため、県は対物管理型で良いとする意見、国と地方の719兆円の借金をどのようにして返済するのかという視点、また道州の自立は2種類あって、オートノミー(権限)とインディペンデント(独立)であるが、どのような枠組みになろうとも、関東州だけが豊かで他の州は貧乏で良いということにはならないだろう。それが優しい社会である。

聴衆者の質問
報告書の中にある「法令の範囲を超える条例制定」とは、とはどういうことか?
昇教授の回答
 国の枠組みと異なるが、道州も立法権を持った方が良いという主旨で、憲法の改正が必要となる。その動機は、現状の問題を帳尻を合わせて解決するのか、それとも新たに制度を設計し直すのかということだが、帳尻を合わせるのでは間に合わないという意識がある。市町村合併は50年の歴史で変更している。47都道府県体制の歴史は100年であり、これをリセットしたい。道州制は住民意思の表現の仕方であって、これにより国会議員の利権がなくなり、その役割が変わる。ただし、このリセットには最低でも10年はかかるだろう。

聴衆者の質問
 霞ヶ関の高級官僚の抵抗に対する対策は、どのようか?
永久部長の回答
 官僚よりも政治家が悪い。その政治家を選んでいる有権者はもっと悪い。何故なら、これまで利権を持ってくる政治家を選んできたのだから。このままでは国が潰れる。国民負担率が40%から、20年後には70%になると予測されているが、その中身は借金の返済である。中央から金を取ってくるという政治家を選挙で落とせ。
川勝教授の回答
 三位一体の改革に、総務省以外の省庁は全て反対した。文部科学省には命を掛けて反対した人も居る。官僚を自ら変えることは難しい。退職官僚の受け皿を作ることが大切だ。
道州が全ての税金を徴収し、人口に応じて外交等に必要な国の経費を上納する、そのような公約を掲げる政治家を選出しよう。そうすれば、血を流さないで国を変えることができる。それが文明国の証である。官僚には自らの息子を官僚にしないと公言するほど危機意識がある。国の危機を新しい国に変えるチャンスにしたい。
後教授の回答
 官僚には50歳で働く場所がなくなるという建前論があるため、その受け皿は必要である。官僚はエリート意識があるにもかかわらず賃金が低く、退職後の就職先で生涯賃金の帳尻を合わせようという意識がある。元官僚の鳥取県の片山知事が言うように、「働きたい人は定年まで働けるようにすれば良い」。官僚に期待するのであれば、報酬をチャンとすべきで、働き甲斐を与えることが必要だ。道州が実績と実力を持った人が働く場所となれば良い。

以上


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