平成16年3月議会・合併協議会廃止の賛成討論
市民クラブの中道です。
私は議第15号、東濃西部合併協議会の廃止について、賛成の討論を行ないます。
賛成の理由は次の2つです。1つは、どのような事情があっても、市民が住民意向調査で3市1町の合併を大差で否決した以上、私はこれを民意として重く受け止め、民主主義を尊重するからであります。
2つ目の理由は、1月28日の合併協議会において、合併協議を終えることが確認された以上、今後合併協議会は実質上機能しないからです。また、仮に存続させた場合は、むしろ次の行財政改革や合併などのステップに進む障害となる可能性があるためです。
それでは、多治見市が「合併は必要である」との判断で合併を提案し、その提案を市議会の過半数の議員が賛同し、8,400万円の市費と1年11ヶ月の歳月をかけて目指した3市1町の合併を、市民は何故大差で否決したのでしょうか。
また、今回の住民意向調査結果は、市民が合併を拒否したことのほかに、行政側の意思と民意がねじれたことをも証明しました。私は合併破綻の原因解明と同時に、このねじれの原因を解明しなければ、少子高齢化社会に適合する行政を構築することは、到底不可能であると考えました。
そこで、これらの原因を解明するために、2月一杯をかけて、「3市1町合併・住民意向調査結果に対する考察」と題する、全22ページの小冊子をまとめました。内容が長文のため、ここでは概要のみを申し上げます。
まず、合併破綻の原因は、多治見市が民主主義の成熟度合いを把握していなかったにもかかわらず、合併に対する理念や戦略を立案しなかったことに起因しています。そのため、合併是非の議論が整理されることなく発散してしまい、百家争鳴の状態となりました。
結果として、物質的な地域エゴイズムは合併協議会の協議の中で調整され、3市1町としての合意は得られました。しかし、多治見のアイデンティティなどに代表される精神的な地域エゴイズムは、国が勧める「平成の大合併」の大義名分が正しく認識されなかったため、克服することができませんでした。
次に、行政の意思と民意がねじれたのは、行政が住民意向調査を実施するにあたり、次の3つの事柄を見逃したことに原因があると考えています。
1つは、合併是非の論点を整理して、市民に合併の是非を判断する基準を明確に示し得なかったため、地域アイデンティティの堅持と行政サービス水準の維持向上は、整合が可能なものであったにもかかわらず、市民が相対立するトレードオフの関係にある、と受け止めてしまったことです。
2つ目は、民主主義には発展段階があり、多治見市がまだ発展途上にあるという現状認識を見逃したことです。私は昨年の秋、デンマークとイギリスで地方分権時代の行政のあり方を学ぶ機会を得ました。そこで学んだことは、日本の民主主義は集団民主主義であって、北欧の個人民主主義にまで到達していないこと。また、民主主義が発展して行く過程には、行政へ関心を持つ段階と、行政へ信頼を寄せる段階があることを知りました。
これらの事柄から見ると、残念ながら多治見市の民主主義の段階は、行政への関心の高さが問題となるレベルであって、例え投票率が50%を超えたとしても、行政の意思と反対の民意が示される段階であることを、住民意向調査結果は示しました。つまり現在の行政に対し、多治見市民はあまり関心がなく、信頼もしていない、ということを証明したと考えています。
したがって、そのような現状認識のないまま、行政が住民意向調査を実施すれば、誰もが予測し得なかった結論や、行政の意思に反対の結論が出るのは、当然の帰結であります。
3つ目は、首長の政治的リーダシップの欠如です。長野県山口村の越県合併事例のように、首長が政治生命を賭けた住民投票は、合併への賛同が得られています。つまり、行政への関心度合いが問題となるような民主主義の段階では、首長の不退転の政治的なリーダシップがないと、行政の意思への賛同は得られません。そのことに対する認識が欠けていました。
私の住民意向調査結果に対する分析のあらましは、以上のようなものです。
これに対して、市長を初めとする執行部の分析は、本会議の質疑、特別委員会、一般質問の答弁のいずれを見ても極めて不十分であります。執行部がどのような総括をされるのかは分かりませんが、行政の意思と民意がねじれたことに対する本質的な原因の解明が不可欠であります。
そうでないと、多治見市が目指している少子高齢化時代の地方分権に伴う住民との協働は、まず実現し得ない事を指摘しておきたいと思います。さらに、行財政改革の次のステップとして、執行部は早急に笠原町との合併に着手していただくよう要望いたします。
以上で、私の討論を終わります。