平成13年9月の一般質問
市民クラブの中道です。今回は20人の質問者の最後となりました。執行部の皆さんも大変お疲れとは存じますが、一生懸命に質問を行いますので、どうか宜しくお願い致します。
それでは、通告に基づき市政一般質問を行います。質問は「核融合研との協定書(案)は環境基本条例の精神に反するのではないか」と、「陶磁器産業は多治見市の基幹産業ではないのか」の2つであります。
まず初めに「核融合研との協定書(案)(以下、単に協定書と呼びますが)は、環境基本条例の精神に反するのではないか」、についてお尋ねいたします。昨年12月20日、全国の原子力科学者が一同に会して開催された「トリチュウム検討会」と、今年の5月30日、及び6月25日に開催された第12回と第13回の環境審議会の議論で、核融合科学研究所(以下、単に研究所と呼びます)が、行おうとしている実験の全容が明らかになりました。
そこで、質問を行う前に、研究所が行おうとしている2段階の実験について、まず整理を行います。99年9月1日の研究所の資料によりますと、最終目標とする実験は、重水素同士を衝突させるD−D実験でありますが、その前段階で重水素ビームを用いない重水素プラズマ実験(以下、これを単にD−H実験と呼びます)を行うことになっています。
ここでは、それぞれの実験が持つ意味については言及しません。それぞれの実験で発生し、かつ人体に悪影響を及ぼす放射線の量について述べます。まず前段階のD−H実験ですが、核融合反応が起こらないため、トリチュウムと中性子の年間発生量は、後段階で行うD−D実験に比べて約1/1000以下とはるかに少ないそうです。
次に、後段階のD−D実験ですが、これは核融合反応が起こり、年間最大370ギガベクレルのトリチュウムと、500シーベルトの中性子が発生し、かつ発生したトリチュウムと重水素ビームが反応して、いわゆるD−T反応が起こるそうであります。このD−T反応というものは、かつて西寺市長が反対された実験であります。
2年前の9月、東海村で発生したJOCの臨界事故は、まだ生々しく私たちの記憶にありますが、この時、死亡した大内さんが浴びた推定被爆量は16〜20シーベルトでありました。
人体は7シーベルトの放射線を浴びると死亡する確率が高いそうですが、研究所の大型ヘリカル装置では、人間が死亡する約70倍の中性子が発生することが判っています。
研究所は発生するトリチュウムを99%除去して自然放射線レベルの1億分の1に抑え、発生する中性子は厚さ2mのコンクリート壁で遮蔽し、敷地境界において年間50マイクロシーベルト以下に抑えると言っています。
しかし一方で、研究所はヘリカル装置から500シーベルトの中性子が発生することと、D−D実験によって結果的に、研究者の間では常識であるD−T反応が起こることを明らかにして来ませんでした。何故ならば、このD−T反応こそが、前述したように過去、西寺市長が猛烈に反対された「トリチュウムを使用する実験」だったからであります。
つまり、研究所がどのような表現をしようとも、後段階のD−D実験を行えば核融合反応が起こり、さらにD−T反応も起こって、人体に危険な500シーベルトの中性子が発生することは間違いないのであります。
したがって、以上のような視点に立つのならば、研究所の周辺環境の保全、並びに東濃西部の住民の安全を確保するための、この度の協定書は、前述のような実験の正しい認識に立って作成すべきであります。しかるに、協定書作成に当っての執行部の姿勢は、市民に向かったものではなく、情報公開条例の精神と環境基本条例の精神に反するものであります。
各条例の制定時期と協定書の策定過程を時系列的に追跡すると次のようであります。
まず、情報公開条例は97年の9月に制定され、今年の3月に改定されています。また環境基本条例は98年の9月に制定され、2000年の3月に環境基本計画が策定されています。
一方、協定書は98年の2月に第1次の原案が策定され、その後の99年10月7日、西寺市長は東濃研究学園都市推進協議会・会長に対し、協定書最終案に同意されました。
1次原案が策定された年の12月に、多治見市民である井上敏夫氏が協定書に関する情報公開を請求されましたが、執行部は協定書の素案が非開示情報にあたるとして公開しませんでした。さらに、1次原案が策定され、西寺市長が最終案に同意される1年と8ヶ月の間、執行部は協定書案を市民に公開することも、また地元住民や市民に相談することもありませんでした。
しかも同意された協定書最終案は、D−H実験とD−D実験の2段階に区分し、その内容をD−H実験のみに限定し、D−D実験の問題点、すなわちD−T反応を引き起こし500シーベルトの中性子を発生する危険性への対策を先送りしたものであります。
協定書への市長同意は、情報公開条例と環境基本条例の制定後に行われています。市長同意後に改定や基本計画の策定が行われていますが、そのタイムラグはわずかであります。したがって協定書が、最も重要なD−D実験の問題点を先送りし、かつ同意されたということは、執行部のこの間の対応が、情報公開条例と環境基本条例の精神に反していると言われても仕方のないことであります。
これらの状況を踏まえて、6月25日、環境審議会は市に対する提言書をまとめました。この提言書は既に2回の検討が加えられており、若干の表現の修正を加えて7〜8月に提出される予定でありました。
提言書は協定書策定過程における市民との対話が不十分であり、実験をめぐる疑問や不安が十分解消されて来なかった。したがって、現段階は協定書を締結する段階にはなく、原点に立ち返って実験そのものを議論する仕組みに取り掛かる必要があるとして、以下、7点の提言を行う予定でありました。
@ 重水素実験に対する3市1町の温度差をなくすために、多治見市が主体となって連携体制を構築されたい。
A 周辺環境の保全と住民の安全確保のために、多治見市は環境基本計画の中にある三者協議を設置し、環境基本条例の仕組みを作動されたい。
B 三者協議は実験の住民合意を得ることを目的とし、住民合意が得られないときは実験の廃棄をも議論されたい。
C 三者協議を構成する地元住民は研究所より半径2km以内に居住する住民とし、大きくは3市1町の住民も対象とされたい。
D 実験が持つ危険性について、多治見市長は3市1町と県が共通認識を持つように働きかけられたい。
E 市長は研究所を危険施設として位置付け、放射線管理区域として必要かつ十分な検討を行い、必要に応じて国に要望されたい。
F 市長は実験に伴う事故に関し、国家賠償法を前提として、当事者責任を明確にするために損害賠償責任を明確にする法整備を提案されたい。
さらに、提言書は補足事項として、住民は実験に対して極めて強い不安感を抱いており、研究所に対しても強い不信感を持っているが、これらを「社会的概念としての危険性」として位置付け、この社会的概念としての危険性を払拭することが、多治見市の環境行政に科せられた責務であると結んでいます。
提言書が最終的にどのような文言になったのかを、私は知りません。しかし提言書に関する2回の審議会議論の内容から、以上に述べた基本精神は堅持されているものと考えています。
それは、いかに形式上の情報公開条例や環境基本条例が制定されても、その基本的な精神を作動させて来なかった多治見市の、重水素実験に対する環境行政に対し、今一度、原点に返って、その精神をきっちり作動させよ、と言う提言であります。
そのような観点から、以下8点の質問を行います。
@ 多治見市では協定書案と環境審議会の提言とは、どちらが上位概念となるのでしょうか。環境基本条例は多治見市の最上位条例であります。県と3市1町が締結する協定書と多治見市の最上位条例が整合しない場合、市はどのような対応をされるのでしょうか、と言う質問でもあります。
A 西寺市長は既に協定書案に合意されていますが、多治見市として調印する場合には「市民の理解を得る」ことが条件になっています。 では、何を基準として「市民の理解を得た」と判断されるのでしょうか。
B 西寺市長が押印して合意された協定書案は、今後実質的に変更が可能なのでしょうか。
C 協定書作成の過程で三者協議会を開催しなかった理由は何なのでしょうか。少なくとも協定書作成に地元住民や市民が参加しなかった理由を明らかにしていただきたい。
D 協定書の第1次案には次の項目がありました。すなわち事故などによって、法令に定める放射線量の限度を超えて従事者が被爆したときや、放射線汚染が周辺環境に広がったときなどの連絡方法、そして事故防止のための防災対策と訓練、および地域住民に損害を与えた場合の損害補償などです。しかし協定書最終案ではこれらの項目が全て削除されました。削除された理由はどのようなものでしょうか。
E 環境審議会からの提言のうち、実行できるものと、出来ないものを明らかにして頂きたい。
F 私は研究所について質問するのは、今回で2度目です。前回の平成7年に質問したとき、西寺市長は「当時はトリチュウムを使う実験に反対した」と答弁されました。今回明らかになりましたように、D−D実験の核融合反応によりトリチュウムが発生し、それによりD−T反応が起こります。そして危険なトリチュウムと中性子が発生します。市長はこのような危険を伴うD−D実験を容認されるのでしょうか。
G 実験によって発生する中性子は500シーベルトであり、致死量の約70倍の強度であります。研究所はこれらの放射線を厚さ2mのコンクリート壁で遮蔽し、敷地境界においては50マイクロシーベルト以下に抑えると言っています。市長はこのような施設を危険施設だとは認識されていないのでしょうか。
次に、大きく2つ目の質問を行います。題目は「陶磁器産業は多治見市の基幹産業ではないのか」であります。昨年の12月議会において、多治見市は第5次総合計画を制定いたしました。また今年の4月、執行部は新産業研究会報告書と、「意匠研究所の今後について」と題する行政改革検討結果報告書の2つの報告書を作成しました。さらに、本9月定例議会では、「陶磁器意匠研究所の設置及び管理に関する条例」の改正が提案されています。
これら2つの報告書と条例の改正案は、5次総の基本計画とそれぞれ整合していなければならない筈でありますが、私の見る限り整合しているようには思えません。そこで多治見市の産業政策、とりわけ陶磁器産業と意匠研究所の方針について、5次総の基本計画と照合しつつ質問を行います。
まず初めに、新産業研究会報告書は次のように述べています。97年の年間の多治見市の総販売額、つまり農業・工業・卸売業・小売業の合計販売額は約2300億円であり、このうち陶磁器関係の総販売額は1077億円で、多治見市の全ての販売額に占める割合は46.8%となっています。
また、多治見市の全事業所数の約2450箇所に対して、陶磁器関連の事業所数は約940個所で、その割合は38.4%であり、さらに、市内の全従業者数の約17,200人に対して、陶磁器関連の従業者数は約6,900人で、その割合は40.1%であります。
これらの指標を概観して、報告書は「陶磁器関連業種以外の卸売業・小売業・工業や農業は、全ての指標において極めて少なく、市全体の産業動向の大勢に影響を及ぼすほどではない」と述べています。つまり、言い換えれば、報告書は陶磁器関係の産業が市全体に影響を及ぼすほど規模が大きい、と現状を認識しています。
しかしながら、同報告書は「はじめに」の項で、本市における陶磁器産業はかつての基幹産業という位置付けを失いつつあると現状を定義し、「まとめ」では、雇用と市税収入の確保=市民生活の安定という目的のために、産業政策としては、陶磁器のまちとして歴史と文化を大切にしつつ、一方で新たな産業政策へシフトして行くことが、今求められていると産業の方向性を述べています。つまり、この報告書は陶磁器産業をもはや基幹産業としてではなく、歴史と文化として残し、産業政策を別の新たな産業に移行すべきである、と主張しています。
報告書の全体をまとめますと、陶磁器産業は全ての指標において、市全体に影響を及ぼすほど規模が大きいけれども、産業としては見通しが暗いので歴史と文化遺産に止め、新しい産業に移行すると述べています。言い換えますと、報告書の主張は多治見市の総販売額の46.8%を占める陶磁器産業の販売額と、市内の全従業者数の40.1%を占める陶磁器産業に従事する市民の雇用を放棄するというものであります。
一般に行政の産業政策は、現在の産業、とりわけ市全体に影響を及ぼすような基幹産業の現状を分析し、マーケッティングから見た利点欠点を総括して、市民の雇用規模と市税収入の規模を勘案しながら個々の政策を立案するのが普通であります。
しかるに、本報告書のように、現状分析の後、そのデータを無視して、いきなり基幹産業を放棄するような方針はいかにも乱暴であります。少なくとも、現在、陶磁器産業に従事する市民の雇用を見捨てるような強い印象を持ちます。
また、報告書は今後これを基礎資料として、新たな産業の可能性を広く議論することを提案しています。そして、議論する際のキーワードは「陶磁器産業に固執するか否か」であるような表現があります。しかし、これも違うのではないかと思います。しかも、初めに結論ありきの議論は感情論に走りがちです。
すなわち、現在有する陶磁器産業の販売額と市民の雇用は、今後、放置すればどのような推移をたどるのであろうか、次にマーケットから見て現在の販売額と雇用を確保するためには、何をすれば良いのか、そして、どうしても現在の販売額と雇用が守れないのならば、何を捨てて何を伸ばせば効果的なのか、さらに、不足する販売額と雇用を将来性をも考慮して何でカバーするのか、という議論が大切であります。
陶磁器に固執するか否かの議論が重要なのではなく、最終的に市民の雇用を何で確保するかが大切であると考えます。しかし、そのように考えた後でも、一から新しい産業を立ち上げるよりも、当面、既存の陶磁器産業の活性化を模索した方が効率的であり、効果的であると考えます。
そのような観点から、新産業研究会報告書に対し、以下、4点の質問を行います。
@ 現在、多治見市の陶磁器産業の生産・販売額に見合う産業が他にあるのでしょうか。
A 同様に、陶磁器産業に従事する市民の数に見合う産業が他にあるのでしょうか。
B 執行部は陶磁器産業のマーケッティングなどを含む総合的な総括を踏まえた政策をお持ちなのでしょうか。
C 報告書の中にある新しい産業の政策は、何時までに策定されるのでしょうか。
次に、「意匠研究所の今後について」と題した行政改革検討結果報告書に対し、質問を行います。これまでの新産業研究会報告書は「陶磁器産業が基幹産業という位置付けを失いつつある」と控えめな表現に対し、行革検討報告書は「地場産業の美濃焼(製造業・卸売業)はもはや市の基幹産業とはなり得ない」と断じています。
そして、意匠研究所は将来的に研究で大きな成果を挙げることは極めて難しく、今後は研究に替えて、人材育成機能を充実させる方向にシフトすべきであると述べ、13年度の実施事業を研究生の養成、市民講座、特別研究生の養成、市民陶磁器文化情報センターの設置、受託業務、技術相談の6事業に限定しています。
この行革検討報告書の方針は、5次総・基本計画が謳っている「人材育成機能と研究開発機能の2つを充実させます」という方針とは、明らかに異なっています。そこで、最初の質問は、5次総の基本計画と行革検討報告書の「今後の方向性」が異なる理由は何でしょうか、というものです。
次に、行革検討報告書は、今回の条例改正案の主旨とも異なります。すなわち条例改正案は、第1条で「人材育成及び研究施設として意匠研究所を設置する」と条文化していますが、行革検討報告書の施策の中に、研究施設はありません。しかし、その一方で、条例改正の提案説明の中で、改正の目的は人材育成へのシフトであるという説明がありました。つまり、5次総の基本計画と行革検討報告書、及び条例改正案がどうもギクシャクして整合性に欠けています。そこで、第2の質問は行革検討報告書の「今後の方向性」と条例改正案が異なる理由は何でしょうか、というものであります。
私は意匠研究所が市の基幹産業である陶磁器産業、強いては窯業を活性化するための支援施設であると認識しています。何故ならば研究所が陶磁器産業を支援することが、市民の雇用や市税収入を確保することに繋がると考えるからです。このため、研究所の方針はそのような機能が発揮できるように、最も効果的な施策を策定すべきであります。はたして、人材育成へのシフトは、雇用と市税収入に最も効果的な施策となるのでしょうか。そこで、第3の質問です。人材育成機能を充実させる方向と、13年度の実施事業である6事業は、陶磁器産業のどの部分に貢献するのでしょうか。
以上に述べたような観点から、私は意匠研究所が行革検討報告書の方向に変更されるのであれば、ここに市の経営資源を投入する必要性は全くないと考えています。行政が附属機関として研究所を運営するのは、あくまでも産業政策の一環として行うのであって、研究開発機能を削除した単なる教育機関であるのなら、行政の付属機関としての意味を失うからです。また教育機関としても疑問視せざるを得ません。
そこで、第3の質問は、そもそも研究しない機関に本当の教育ができるのか、というものであります。意匠研究所は全国的に高い評価を受けており、入所希望者は毎年定員の約3倍あります。しかも、受験者は高校卒業者から大学卒業者と幅が広いのですが、そのレベルは大学院クラスであります。
何故、人気があるのか。もちろん、多治見の伝統と文化、及び人間国宝の存在などが挙げられましょうが、意匠研究所が自ら研究し、ハイレベルな成果を挙げて来た歴史が、全国的に認識されているからであります。研究し成果を挙げた分野は技術とデザインでありますが、行革検討報告書が指摘するように、技術の分野は民間の技術が充実し、研究所が果たす役割は少なくなりました。
しかし、デザイン分野の研究は目を見張るものがあります。例えば、研究所の職員である中島晴美氏は、今年の4月に笠間で開催された「現代陶芸の精鋭」展の20人の中に選出されるなど、その活躍と存在は全国に知られています。
彼は粘土という素材が持つ表現の可能性を追求し研究していますが、その研究は勤務時間外に行われており、勤務時間内は自らの研究成果を学生に教えています。すなわち、彼の教育は彼の研究によって支えられており、学生はそのことを肌で感じ取っています。
研究の伴わない単なる知識の切り売りでは本当の教育はできないと思いますが、執行部はどのようにお考えになるのでしょうか。
次に、今回の条例改正案ですが、窯業という用語がなくなり、陶磁器という用語だけになりました。東濃地方には良質な粘土が豊富に埋蔵しています。また、近年のニューセラミックスやファインセラミックスなどのマーケットの規模と、粘土という素材が持つ可能性を考慮すると、窯業を陶磁器のみに限定するのは将来に禍根を残すのではないかと危惧しています。そこで、最後の質問です。今後、市は窯業に対する支援と育成を行わないのでしょうか。
以上で、1回目の質問を終わります。