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平成12年3月の一般質問


市民クラブの中道です。事前に行いました通告に従い市政一般質問を行います。質問は大きく分けて3つ行います。質問の題目は@市民参加のあり方を明確に、A愛岐処分場の延命策は本当に環境に負荷がかからないのか、B環境基本計画について、の3つであります。
 まず初めに、「市民参加のあり方を明確に!」と題して質問をおこないます。質問の趣旨は、市民活動に対する市の基本方針と、市民参加を進めるための政策を、立案して頂きたいというものであります。この2月に公表された多治見市第5次総合計画の原案にある計画指針のなかで、「本計画は、徹底した情報公開を前提とした市民参加を進め、市民と行政双方のパートナーシップに基づいた協働作業の推進をめざしています」と、かってない市民への役割と期待を謳っていますが、それにもかかわらず、原案には市民参加の具体性や、協働作業という言葉の定義付けがなされていません。このため、5次総全体についてもパートナーとされる市民は具体的に何を求められているが、良く見えないのであります。つまり、5次総でいう市民とは、住民と、どこがどう異なるのか、また、「成熟した市民」とは、どのような市民を指すのか、もしかして行政に協力する市民委員会などのメンバーだけを指すのか、さらに、行政とは直接的に関係なく生活している市民は、5次総の中では、どのように位置付けられ、どういう対象となるのか、などが全く判らないのであります。また、協働作業の方ですが、この場合の協働は協力しながら働くという漢字を充てていますが、何を協働して作業するのかの定義がありませんので、市民は何をすれば良いのかが見えません。つまり、市内で日々生活する市民にとって必要とされる公共的な仕事を、行政がしなければならない領域か、市民がしなければならない領域かに区分することによって、市民と行政が協働しなければならない分野の仕事を明らかにしていないため、市民には、何をどのように協働すれば良いのかが見えないのであります。
一方、市内では、最近、市民参加のあり方を巡って様々な論議が起こっています。1つは、5次総策定に関する市民参加のあり方です。1月8日の5次総の市民シンポジュームで見られたように、市民参加は従来のトップダウン方式で良いのか、良いとすれば、行政の求めている市民参加は、行政のアリバイ作りに過ぎないのではないか、そうではなく、真の市民参加を望むのであれば、もっと他に、ボトムアップの市民参加の方法があるのではないか、という疑問であります。
論議の2つ目は、従来から区や町内会などの自治組織が、慣例的に、行政の下請け機関的な役割を果たしてきたことに対して、それで良いのかという疑問であります。現在の自治会は、実質上、行政の下部組織であるという役割を持ちながら、一方では、住民の意見を取りまとめて代弁するという住民自治を進める役割の、いわば、2つの相反する機能を歴史的に担わされて来ました。このため、自治組織の責任者としての区長や町内会長は、日々発生する様々な課題を行政側の立場で、或いは、住民側の立場で、その都度、判断・処理することを、個人の責任として、使い分けて来ました。しかし、社会の流れや価値観の多様化、それらに伴う市民ニーズの多種・多様化を、もはや従来の自治組織の力量では負えなくなっている実情があります。自治組織の抱える問題は、おおよそ次の点であります。まず、行政の中で、自らの位置付けが判らないこと、その上、さしたる予算や調査手段がないため、何が総意で、何が民意なのかが、見えにくくなっていること。さらに、個人の意思とは関係なく輪番で役が回ってくる大多数の区長や町内会長は、ボランティア活動の領域を逸脱する様々な課題への対処は、「責任」という点で、大きな負担となっていることであります。そして、自治組織そのものの存続が危ぶまれたり、形骸化しているという実態も生まれています。
では、これらの自治組織は必要でないのかというと、住民にとっても、行政にとっても重要な組織であることは、明らかであります。問題は、行政がこれらの自治組織の実情をきちんと把握し、理解を深める努力や対処をして来なかったことにあります。
議論の3つ目は、行政が市民活動の基本方針を定め、機能させるシステム作りをしていないことに起因する混乱であります。例えば、介護保険の施行と共に多発するであろう宅老所やグル-プホームなどのニーズ、また、男女参画社会への移行と共に多発するであろう学童保育などのニーズ、その他、行政が提供しにくい市民ニーズが新たに発生することが予想されていますが、一方では、これらのニーズに応えようとする市民のボランティア活動が芽生えつつあります。しかしながら、行政として、その需要と供給をマッチングさせる施策や、ボランティアを育成し支援するシステム作りをしていないため、市民が善意の社会奉仕活動をしようとしても、具体的な指針がなく、暗闇の中で右往左往するような苦労を強いられている状況があります。今後、価値観の多様化に伴い、さらに様々な市民ニーズが発生すると予想されています。しかし、地方分権の時代を迎え、地方自治体と市民の自己責任が問われる中で、行政が全ての市民ニーズに応えることは不可能であり、何らかの形で市民のボランティア活動に依拠せざるを得ないのですが、それを受け止める仕組みも政策もありません。
論議の4つ目は、行政と直接的に関係がない分野で活動する市民に対しての、行政が基本的な方針を持っていないことから発生する混乱であります。例えば、市民の中には、様々な団体や文化やスポーツ活動がありますが、それらの活動は公益性を持つボランティア活動なのか、それとも単なる私的な同好会や趣味の活動なのかの判別が難しい場合があり、行政が提供する補助金などを巡って、市民の間に不信感が漂っています。 少なくとも、当該の市民活動が公益なのか、それとも私益なのかを仕分ける目安と仕組みは必要であり、それに基づいて市民活動を支援すべきでありましょう。また、5次総のキャッチフレーズである「市民の鼓動が響くまち」を目指すのであれば、行政と直接関係がない活動に対しても、きめ細やかな支援・育成の政策が必要なのではないでしょうか。
以上のような社会的現象を背景として、本来の市民活動のあり方と行政のあり方を明らかにしつつ、行政側に近い方から、各種市民委員会などのあり方、自治組織のあり方、ボランティア活動のあり方、NPOのあり方、及び市民活動の条例制定などについて、順次、質問を行います。

まず、初めの質問は、市民活動の果たす役割や市民活動と行政の関係、及び連携のあり方などに関して、市はどのような基本方針をお持ちなのか、というものであります。横浜市は、市民活動と行政の協働のあり方を検討するために、「市民活動推進検討委員会」を、平成9年10月に設置しました。委員長はさわやか福祉財団理事長の堀田力さんであります。委員会は、@これからの社会における市民活動の役割、Aこれからの市民活動と行政の関係、B市民と行政の連携のあり方などについて検討を重ね、平成11年3月、市長に最終報告書を答申しています。報告書は、市民活動の定義として、@市民の自主的な活動で、参加が開かれていること、A営利と目的としないこと、B多くの人々が幸せに生きて行くために、必要な活動であること、の3点を挙げています。その特徴として、市民活動は、@自発的自立的活動であり、A柔軟・迅速な対応ができ、B分野を超えた広範な活動も可能で、C非営利性、テーマ性、独創性がある、などの4点を挙げています。そして、これらの市民活動が社会に果たす役割は、

@公平性や中立性が求められる行政や、利潤を求める企業が対応できない分野や、市民活動が行った方が効果的な分野において、市民活動は多種多様な市民ニーズに適切に対応できること。

A行政や企業が提供できない個別のニーズに、きめ細かく弾力的に対応ができること。

B行政や企業が取り組めない分野であっても、必要性が共感できれば、先駆的かつ冒険的な活動ができ、その成果を行政に提案することが出来ること。

C職場や学校、及び家庭などの日常生活では得ることのできない、市民の自己実現の機会を提供することができる、などの社会的役割を強調しています。


 また、報告書は、市民活動と行政が協働するための、6つの原則が必要であることを明記しています。

@ 的共有の原則で、協働の目的が何であるのかを、双方が共通に理解し確認する必要性があること。
A 市民活動は行政と対等であることの原則、 
B市民活動が自主的に行われることの原則、 
C市民活動が自立していることの原則、 
D双方がお互いの長所・短所や、立場の違いを相互に理解することの原則、
E市民活動と行政の関係が、公開されていることの原則、の6つであります。 

そして、行政は、市民活動との協働を積極的に進めるために、
@市民活動に対し補助や育成を行い、
A市民活動が行う事業を共催し、
B市の事業を委託し、
C市の施設など、公の財産を優先的に利用できるルールを作り、
D市民活動を後援し、
E様々な市民活動の情報交換や活動のコーディネートを行うべきであると述べています。

 また、これらの市民活動に対し、行政が公金や公の財産を使用するにあたっては、
@市民活動に社会的公共性があること、
A工費濫用を防止するために、市民と行政が共に監視するシステムが必要であること、
B市民活動と行政の情報を、全ての市民に公開することが必要であること、の3つの必要性を強調しています。
 そして、市民活動と行政の協働を担保するために、協働のための全市的な委員会を設置し、かつ市民の理解と協力を確保するために、条例を制定することが望ましいと結んでいます。
 いま全国で、市民活動と行政の協働のあり方が検討されています。はたして、多治見市はどのような協働のあり方を考えておられるのでしょうか、お尋ねいたします。


 市民活動の2番目の質問は、各種委員会や審議会などの委員選出方法と運営方法、及び報酬などの基準はどのようか、という質問であります。
現在、市の中に委員会や審議会、及び協議会や懇話会・研究会などの名前がついた組織は178もあるそうですが、それらの内から選挙に関するものや廃止又は休止しているもの、及び委員会や審議会と呼べないものを除き、かつ職員のみで構成されている委員会等を除くと、75の各種委員会があるそうであります。75の各種委員会を見ると、法律に基づいて設置されたものが27、条例・規則に基づいて設置されたものが14、設置要綱で設置されたものが29、その他の理由で設置されたものが5つであります。また、75の各種委員会の内、委員が公募で選出されているものは11で、報酬が支給されているものは15であります。これら75の各種委員会の設置根拠と、報酬の有無と額、及び公募の有無の関係を調べると、規則性も相関性も認められません。例えば、法律で設置が定められている27の各種委員会は、公募の委員がいません。報酬は1つの委員会を除いて、全てに支給されており、その額は日額7,000円から13,600円の範囲にあります。また、条例・規則で設置されている14の各種委員会は、1つの審議会で公募委員がいますが、他は公募委員がおらず、報酬を支給しているものが12、支給していないものが2つで、その額は日額8,000円から25,000円の範囲にあります。さらに、設置要綱で設置されている29の各種委員会は、委員が公募されているものが10、されていないものが19、報酬が支給されているものが17、支給されていないものが12で、その額は日額5,000円から8,000円の範囲にあります。さらに、その他の理由で設置された4つ各種委員会でも、報酬が支給されているものが1つあります。
 私は昨年の6月議会で、5次総の策定方法の「市民参加」について質問しました。質問の趣旨は、5次総は市民参加の下で策定されていると執行部は強調しているが、策定の母体である策定市民委員会と策定懇話会の59人の委員の内、公募された委員はたったの3名であります。このような委員会で策定された5次総は、本当の意味で、市民参加の下に策定したと言えるのか、この方法はトップダウンの市民参加ではないのか、ボトムアップの市民参加の仕組みを作るべきではないか、というものでありました。 その後、約9ヶ月が経過しようとしていますが、これらの問題を改善しようとする試みは、今だに、見受けられません。もちろん、5次総策定には経緯がありますので、直ちに改善することは難しくとも、先に述べた市民が参加する75の各種委員会のあり方は検討されてしかるべきと考えています。そこで、再度、質問いたしますが、各種委員会の委員選出方法や運営方法、及び報酬などの基準は、どのようかを、お尋ねいたします。


 3番目の質問は、市政の中で、区長会や町内会をどう位置付けるのかというものであります。区長会や町内会は、自治組織なのか、それとも行政協力機関なのか。また、これらの組織に対する交付金は、組織育成費なのか、それとも広報配達などの委託費なのか、さらに自治組織は行政にとって必要なのか、そうでないのか、というものであります。 地元情報誌である東濃新報は、3月17日付けの一面で、西寺市長が区長会に陳謝し、行政と区長会の関係が修復される方向に進んだことを報じました。ことの発端は区長会に所属する文書を公開するか否か、ということでありましたが、執行部の不手際もあって、市との関係の不満や、区長会そのものの存立の是非まで議論が沸騰しました。 行政と区長会の関係がこじれたのは、行政が区長会の役割と位置付けを曖昧にしたまま、自治組織である区長会に対し、あたかも行政の下部組織であるかのように振舞ってきたことへの不満が一気に噴き出したからであります。多治見市の自治組織には、398の町内会と40の区があります。いくつかの町内会が集まって区を形成し、40の区が集まって区長会を形成しています。つまり、区長会は398の町内会の上部団体でありますが、基本的に、これらの全ての組織は地縁で結ばれた住民の自治会であります。 しかしながら、先にも述べたように、現在の自治会は、行政の下部組織であるという顔と、住民の代表であるという顔の矛盾する2つの顔を持っています。行政の下部組織であるという顔は、昭和18年に大政翼賛会の末端として、町内会などが法制化された時に完成します。その後、太平洋戦争の敗戦後の昭和22年に、連合軍のポツダム政令によって、一旦解散させられますが、昭和27年の連合軍の占領が終了すると同時に、町内会解散令が失効し、町内会が復活しました。さらに、昭和28年に、自治省が行政協力員制度を作り、町内会を間接的に利用しながら、現在に至っています。 その後、自治省が昭和56年に行った調査によれば、全国3,265の半数以上の市町村は、住民の自治組織に対して、@広報紙や連絡文書等の印刷物配布、A各種調査、B自治体及び住民相互間の連絡、C徴税令書など自治体の納入通知書の配布、各種募金の協力依頼を行っており、印刷物の配布に至っては91%の市町村が自治会に委託しています。つまり、自治会は、実際上、行政の下部組織として機能してきたのであります。 一方、同じ自治省が平成4年度に行った調査によれば、全国298,488の町内会の大多数が、住民相互の連絡や、区域の清掃、集会所の維持管理、防火・防災活動、スポーツ・文化のレクリエーション、道路や街路灯の維持管理、防犯や交通安全、及び盆踊りやお祭り、敬老会などの行事や、行政に対する要望や陳情を行っています。つまり、自治会は不十分ではありながら、住民自治の機関として機能してきたのであります。 すなわち、自治会は、ポツダム政令によって、住民の自治が保証され、かつ行政の下部組織にならないような指針を与えられましたが、その一方で、自治省の行政協力員制度によって、行政の下部組織として取り込まれたのであります。その結果、自治会は行政側の顔と、住民側の顔の、二律背反の顔を持つことになったのであります。 本来、区長という名称は行政協力員の名称であります。区長は市の非常勤特別職であり、市から身分が保障され、報酬が支給される役職名であります。一方、自治会長や町内会長は住民自治の代表者で、ボランティア団体の長であり、行政とは関係のない任意団体の責任者であります。
したがって、この2つの長は、二律背反の関係にあるために、本来、同一人物がなるべき役職ではありません。しかしながら、行政は施策を効果的に実行するために、あるいは各町内会を下部組織とするために、区長と自治会長を同一人物にするように指導してきました。そうすることによって、区長会に、市議会とは別のもう1つの問題解決の場としての機能を、与えたのであります。
一方、自治会・町内会にとっては、同一人物が区長と会長を兼務することで、情報が一元化されるため、自治会の要望を通しやすく、行政からの補助も受けやすいことから、敢えて反対はしなかったのではないかと、推察しています。つまり、今までは、行政と自治会の利害が一致していたのではないかと考えられます。これまでのように、全ての市民がいずれかの町内会に属している間は、問題がないのですが、少子・高齢化社会を迎えて、独居者や自治会・町内会に加入しない市民が増加すると、自治会に加入している市民と、加入していない市民の間で、市民サービスを巡って不公平が生じます。まさに、今回の区長会問題の本質は、ここにあると私は考えています。もはや、過去の行政と区長会・町内会との関係を清算し、新たな関係を構築しなければならない時期に来ており、そうしない限り、根本的な解決は、あり得ないだろうと考えています。
ただし、ここで解決しなければならない大きな問題があります。憲法の問題であります。

憲法第89条の後段は、「公金その他の財産は、公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と謳っています。つまり、憲法は、行政の支配下にない事業に対し、行政が公金や財産を提供することを禁じているのであります。

 この問題に対し、前述の横浜の委員会は、次のように結論付けています。「公」は、そもそも「誰でも近づくことが出来る、誰に対しても開かれている」意味であって、単に行政のみを指すのではなく、社会的公共性を持つものと解釈しています。次に、市民活動が「公の支配」に属しているといえるためには、@公金支出等の対象となる市民活動が社会的公共性を持つこと、A事業の報告や検査など、公費濫用の防止のための処置が講じられていること、B市民活動と行政に関する情報が公開され、市民が誰でもその情報に接して内容を確認することができるようにすること、の3つの条件を満たすことが重要であり、この条件が満たされた場合、憲法と整合していると言える、としています。多治見市は区や町内会に、区事務経費交付金や町内会事務経費交付金を支出していますが、これらの交付金の意味が明確にされていません。もし、憲法を条文通りに解釈し、公の支配下にある区や町内会に交付しているとすれば、区や町内会は行政の下部組織であるということになります。反対に、区や町内会は自治組織であるという位置付けというのならば、公の支配下にない住民活動に公金を支出していることになります。いずれにしても、現行の制度、そのものが現状に合わなくなっており、憲法上でも、矛盾を起こしていることは、明らかであります。ただし、このことは多治見市だけではなく、全国いたる所で行われており、岐阜県内でも名称は交付金、補助金、報償金、謝礼金、奨励金、手数料と様々ですが、14市で支出されています。
 この問題をどのように整理し、現状と整合させるか、いま多治見市の力量が問われています。そこで、質問を繰り返しますと、区長会や町内会は自治組織なのか、それとも行政協力組織なのか、また、これらの組織への各種交付金は組織育成費なのか、それとも広報配達等の委託費なのか。さらに、これらの自治組織は行政にとって、必要な組織なのか、それとも必要のない組織なのか、執行部の見解を、お尋ねいたします。


 市民活動の4つ目の質問です。前述したように、今後、価値観の多様化によって、行政が提供しにくい市民ニーズが、新たに発生してくる可能性がありますが、一方では、これらのニーズに応えようとする市民のボランティア活動が芽生えつつあります。このような個人や団体のボランティア活動に対して、行政はどのような活性化策や普及策、及び支援策を行おうとしているのでしょうか、また、新たに発生する市民ニーズをどのような方法で把握し、政策として応えて行くのでしょうか。 現在、市は恒常的なボランティア支援策として、社会福祉協議会の中にボランティアセンターを設置し、その運営を社協に委託しています。ボランティアセンターに登録している団体は70で、それぞれに活躍しておられますが、市民にはそれら団体の活動状況が良く見えないばかりか、会員を増やす努力をしているようには見えないのであります。既存のボランティアセンターの活性化策や、今後、新たに実施しようとしている施策について、お尋ねいたします。


5つ目の質問です。これらのボランティア活動を継続的に実施する手段として、平成10年12月に、「特定非営利活動促進法」、いわゆるNPO法が施行されました。NPO法に則って認可された団体は、全国で1,500程度あるそうですが、岐阜県ではまだ4団体しかなく、残念ながら、多治見市には1つもありません。 また、全国でNPOを支援するNPOがあり活動をしており、多治見でもそのような動きがありますが、まだ手探りの状況で、形としてできるのは、まだ時間が掛かるようであります。 行政は、協働するパートナーとしてNPOを位置付け、団体を立ち上げ育成する義務があり、前述したような協働の6つの原則である、補助・助成、共催、委託、公の財産の使用、後援、及び情報交換や事業のコーディネートを行う必要があると考えていますが、執行部はどのような方針をお持ちでしょうか、お尋ねいたします。


 6番目の質問は、市民活動を支援するための、条例制定の予定はないのでしょうか、というものであります。いま、全国で市民活動の条例を作ることが検討されています。その条例作成の方向は2つあります。
1つは、仙台市の「市民公益活動の促進に関する条例」であり、他の1つは、大阪府箕面市の「市民活動支援条例」であります。2つの条例の違いは、仙台市の条例が行政サービスを補完するものとして、市民活動を位置付けているのに対し、箕面市の条例は市民の自由な活動を保証するのみで、行政は市民サービスの一端を担うことを期待せず、まず市民活動を優先するというものであります。このため、仙台市は市民活動やNPOを対象に、促進委員会を設置し、ボランティアセンターを設置して、ブースを貸し出すというように、行政主導型であります。これに対し、箕面市は条例の中で「非営利公益市民活動促進委員会」を設置し、委員会に、全てを任せるというやり方を行っています。
今の段階で、どちらの条例を参考にするのかは判断しにくい状況ではありますが、いずれにしても市民活動を支援するための条例は必要であります。作る予定があるのか、ないのかをお尋ねいたします。

 

 

 

次に、大きく2つ目の質問を行います。題名は愛岐処分場の延命策は、本当に環境に負荷がかからないのか、というものであります。

名古屋市は、1月13日、多治見市長に対して、処分場の延命策を協議する申し入れを行いました。その後、2月9日に、多治見市の都市環境整備特別委員会に対して、処分場の延命策を説明しました。この説明会には西寺市長も同席しておられます。延命策の内容は、時間がありませんので割愛いたします。
まず、処分場延命策に対する最初の質問です。延命策は名古屋市の要請なのか、それとも多治見市との協議事項なのか、という質問であります。多治見市長に対する名古屋市の文書の中には、どこにも要請という言葉がありません。このことは、処分場問題で困っているのはお互い様で、交渉はお互いに対等の条件で協議しようという意図と見るべきなのか、それとも、単なる言葉上の綾なのか、という点で、今後の多治見市の立場に大きな影響を与えるものだと、懸念するためであります。

2つ目の質問は、延命策はごみの投棄量が当初より、幾ら増量するのか、というものであります。
愛岐処分場は既に処分場の容量を2回変更しています。1回目は平成4年2月の変更であり、のり面覆土厚の変更や林道隣接部の確保などで、容量を69万m3減少しています。2回目は、平成5年6月で、2工区上段の底面を掘り下げて、85万m3の増加をしています。そして、この間に、ごみが自重で沈下したため、15万m3の容量が増加しています。この2回の容量変更とごみの沈下で、トータルとして、容量は31万m3の増加となり、この増加は当初の容量である360万m3に対し、8.6%の増加にあたるとして、名古屋市は監督庁の岐阜県に変更届を提出していません。しかし、これは処分場の容量の話であって、実際のごみの投棄量はごみの沈下により、さらに増加しているはずであります。今回の延命策は2工区上段の埋め立て計画高を240mとしようとするもので、容量の増加が53万m3で、ごみの沈下による増加が25万m3であるとしています。しかしながら、名古屋市の説明資料の書き方が、ごみの残容量に着目して整理されているために、処分場の容量が当初より幾ら増加して、ごみの投棄量が幾ら増加したのか、非常にわかり難いのであります。そこで、質問は、要するにごみの投棄量が、当初の予定より幾ら増加するのでしょうか、という質問であります。


 3つ目の質問は、名古屋市の書面によると、「環境に負荷がかからない増量策を協議」したいとなっていますが、ごみが増えること自体が環境に負荷を与えるものではないか、という質問であります。名古屋市の延命策は、環境に負荷を与えないということが、条件になっています。しかし、処分されたごみは汚染物質が浸出水となり、浸出水を浄化して土岐川に放流しています。つまり、ごみそのものは浄化しないと、処分場以外には放出できないもので、ごみが増加すると汚染物質が増加し、浸出水の汚染物質は濃縮されるという経緯をたどります。その結果、浄化装置は負荷を増大し、しかも浸出水を浄化する期間が長くなります。このことは、処分場内のみならず、処分場の地下や、土岐川などの河川の環境に、負荷を与えるものであります。そのような延命策が、どうして環境に負荷をかけない、ということが言えるのでしょうか、執行部の所見を伺うものです。


4つ目の質問は、同じ名古屋市の書面によると、「協定区域内において、新たな開発を行うこと」のない延命策を協議させていただきたいとなっていますが、ごみの量が増えるということが「新たな開発」ではないか、という質問であります。恐らく、名古屋市は埋め立て面積を拡張しないので「新たな開発には当らない」という見解をしているもの、と推察されますが、地下に地下室を新たに作れば、面積は拡張しなくとも、立派な地下開発であり、駅の周辺を区画整理して高層ビルを建てれば、立派な駅前再開発であります。開発という用語は、面的な概念だけではなく、立体的な概念であり、しかも、ごみを処分する目的の施設の容量が、当初より増加するのは、立派な再開発に当ると考えますが、いかがでしょうか、という質問であります。


5つ目の質問は、前述したように、ごみ投棄量の最終的な量が判りませんが、増加量から見て、新たな生活環境影響調査や、国の環境アセスメントが必要になるのではないか、というものであります。この質問の意味は2つあります。1つは、当初の愛岐処分場を開設するための環境影響評価の調査は、昭和54年ごろに実施されたものであり、当時の調査の技術はまだ未熟で、ほとんど科学的な調査はなされていないはずであると考えます。それを、この機会に実施していただきたいという趣旨であります。もう1つは、容量の増加は、明確に判っているだけでも、過去の85万と今回の53万m3の、合計138万m3であります。この容量は、かって大畑に計画されていた、多治見市の新処分場の容量である、80万m3の約1.7倍の大きさであります。このような大規模な再開発が、正規の環境アセスメントを実施せずに施工されても良いのでしょうか、という質問であります。


6番目の質問は事前に解消されていますので、省略いたします。


7番目の質問は、報道機関等によって報じられた、多治見市が設置しようとしている、第3者機関の検討委員会の名称、目的、委員の選出基準と人数、及び期間はどのようか、という質問であります。


8番目の質問は、この検討委員会と市、及び県との関係はどのようか、また、環境審議会との関係はどのようになるのでしょうか、という質問であります。


9番目の質問は、別件で、多治見市の新処分場選定委員会の名称、目的、委員の選出基準と人数、及び期間とスケジュールはどのようか、お尋ねいたします。

 

 

 

次に、大きく3つ目の質問を行います。題名は環境基本計画の素案について、であります。

昨年の12月に、環境基本計画の素案が議員に配布されました。初めに素案の感想を述べますと、平成10年9月に環境基本条例を策定した時のトーンから、若干、トーンダウンしているのではないか、という印象をうけました。しかしながら、他の都市の基本計画と比べると、はるかに良い出来栄えで、その点は評価しています。
では、通告書にしたがって、順次、質問を行います。


最初の質問は、保全すべき環境と創出すべき環境は、具体的にどのようなものか、というものであります。素案では、環境と共生する場合、保全と創出が一体の用語として使用されていますが、本来、保全すべき対象と創出すべき対象は異なります。環境と共生する具体的な手段としては、原生林のままで保全すべきものと、里山のように間伐や下草刈りなど、若干、人の手を加えなければ、里山としての機能が保てないものもあれば、多自然型の河川や親水公園のように、人工的に自然を改変する共生の仕方もあります。したがって、質問の趣旨は、保全・創出を一体的に語るのではなく、それぞれ区分して、具体的な施策を立案していただきたい、というものであります。


2つめの質問は、公害に対する計画が良く判らない、というものでありますが、その趣旨は公害行政が後退しているような印象を受けたためであります。


3つ目の質問は、事業者の排出責任には、どのようなものを考えているのでしょうか、というものであります。国では、容器リサイクル法が平成9年に施行され、家電リサイクル法が来年の4月に施行され、今また、循環型社会基本法案が検討されています。それらの法律を統一的に解釈すべきものではありますが、この素案ではメーカーや事業者の排出責任の記述が弱いような気がいたします。


4つ目の質問は、水辺環境の保全と水質保全の計画が良くわからない、というものであります。素案では、水辺環境の保全が強調されて、水質保全の視点が欠けているように思えます。本来、水辺環境と水質保全は別のものでありますから、分けて考えるべきであると考えます。


5つ目の質問は、環境美化条例、又はポイ捨て条例は、何時ごろ策定する予定なのでしょうか。


6番目の質問は、素案の単なる誤植でありましたので、質問を取り下げます。


7番目の質問は、素案に省資源・省エネ型の公共事業とありますが、具体的にどのような事業なのかを、お尋ねいたします。


 8番目の質問は、歴史的文化的資産に対する愛着を深めるとは、具体的に何を、どのようにするのでしょうか、お尋ねいたします。もう少し、具体的かつ定量的な指標にならないのでしょうか、という質問であります。


 9番目の最後の質問は、居住環境と緑化の定量的な指標がないのは何故か。また、その他の定量的な環境指標がないのは何故か、という質問であります。

以上で、1回目の質問を終わります。

 

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